Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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主人公の価値 2 

 この前の続きである。が、それについて語る前に、お詫びと訂正である。前のブログで「輝ける2012年」と、うっかり書いてしまったが、とんでもない。今年はまだ2011年である。お恥ずかしい限りだ。前の記事は訂正しておきました。おバカな奴と笑ってください。

 さて、ぼくがおバカなのは年が変わっても変わらないこととして、主人公である。前回は、『スタートレック』のカーク船長についてあれこれ考えてみた。凡庸というより、多くの欠点を抱えすぎるほど抱えていた。マイナスの手札ばかりを集めた結果、すべてがプラスに転じたようなものである。
 一種の化学変化だ。欠点は個性だともいえる。強烈な欠点は印象に残る。もしただ一点、愛嬌のようなものがあればすべてが許されるようなところがある。フーテンの寅さんもこのパターンだ。
 かなり強引だが、主人公をふたつのタイプに分けてみることにする。アマデウスタイプとサリエリタイプだ。奇行をものともせず突き進む天才とその天才に振り回されて苦悩する凡人だ。どちらも魅力的だが、共感できるのは、ぼくの場合、やはり苦悩する凡人の方だ。
 最近のドラマ、特に若い女の子を主役に据えた刑事ドラマはアマデウスタイプが圧倒的に多い気がする。この種のドラマの場合、犯人もアマデウスタイプだ。天才的頭脳を持っている。ハッキングなどは当たり前で、何でもできてしまう。見ていてうらやましくなる。
 犯罪者を見てコンプレックスを感じるというのはどうかと思うが、本当にそんな気持ちになってくるから困ったものだ。天才的犯罪者で真っ先に思い浮かぶのは、人喰いレクターだが、テレビに登場するレクタータイプの犯罪者はテレビサイズである。レクターの重厚さは残念がらない。
 アマデウスタイプとサリエリタイプに話を戻すと主人公に厚みがあるのは圧倒的にサリエリタイプだと思う。あくまでも映画『アマデウス』を題材にしていえば、天才モーツァルトの奇行にはついていけない気がするが、サリエリの嫉妬と苦悩は理解できる。
 テレビドラマに登場する不思議ちゃん系のキャラにいまひとつ共感(あくまでもぼくが)できないのは、そばにサリエリがいないからではないだろうか。奇人変人(もしくは天才)というのは、普通の人間をそばに置き、普通というフィルターを通して眺めることで、初めて生きてくるキャラクターだという気がする。
 最近のシャーロック・ホームズ映画はそのあたりが実にうまくできていた。ホームズはつまり奇人変人の代表格である。ホームズひとりでは円滑な人間関係を結べないだろう。つまり浮いた存在だ。
 ワトソン君がいてはじめて、際どくはあるが社会と接点を持てる。ホームズという奇人変人にはワトソンという頼りになる凡人が必要なのだ。それは物語の設定上のことだけではなく、見る側にホームズを近づける機能もあるのだという気がする。
 テレビに登場するアマデウスタイプには、そばにサリエリタイプがいないという印象がある。似たような二人を並べているような気がしてならないのだがどうだろう。奇人変人を二人並べてみても浮き上がるばかりで、社会との接点が持てない。物語につかみどころがなくなるような気がする。
 たとえばマイケル・コルレオーネだ。犯罪組織のボスでずいぶん恐ろしい男だが、この人物に浮ついたところは少しもなかった。大物だが、普通の人間だった。天才的な頭脳はないが、努力と経験によって得た知性があった。同時に利害損得の方程式さえ解くことができれば、実の兄でも殺せる冷酷さも持っていた。
 普通というのは時に恐ろしいということがこの人物像を見ていればわかる。自分を天才だと思い込んでいる誇大妄想狂の犯罪者などよりもはるかに恐ろしい。マイケルの悪は地に足がついている。
 所詮絵空事である。映画も小説もドラマも、別にむきになることはない。しかし、好みはいってもいいだろう。現実離れした主人公も現実そのものの主人公も、宇宙人がいてもかまわない。ただ、ひとつ当たったからといって、にたりよったりの主人公ばかりでは飽きてくるというものだ。
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Posted on 2011/01/18 Tue. 00:56    TB: 0    CM: 2

この記事に対するコメント

普通の中にあるもの

普通の人の「狂気」ほど怖いものはないと思います。
「えっ、なぜあの人が……」のほうが、誰も予期していないだけに怖いです。
自分の中にも、そんな闇がこっそり隠されているのではないか、と不安になったりもしますね。

最近のドラマはほとんど観ていないのでわからないのですが、主人公の設定がそういう流れになっているんですか。
不思議ちゃんが不思議なことをして、みんながぶっ飛ぶような感じなんですか?疲れますね。

「普通の人」で思い出しましたが、「岸辺のアルバム」や「阿修羅のごとく」が記憶に残っています。
日常の中にあるそれぞれの「ちょっとした闇」が、モザイクのようにちりばめられた作品でしたね。

URL | お夕 #wikz35BA

2011/01/22 18:51 * 編集 *

Re: 普通の中にあるもの

 コメントありがとうございました。お返事が遅れて申し訳ありません。

 普通の人の狂気。これは怖いですね。他人事でない分怖いです。ぼくもあたなも私も君も、普通に見えるひとのなかに狂気が潜んでいるといえるわけです。いまかろうじて普通に見えているだけかもしれない。

 普通の人の狂気、といっていいのかどうかわかりませんが、松本清張という作家はいつも普通の人々を描いていました。普通の人がちょっとしたはずみで犯罪を犯し、犯罪に巻き込まれていく。淡々としていながら、考えようによっては並みのホラーよりもはるかに怖いお話がたくさんあります。

 さて、最近のドラマですが、インパクトを求めるせいか、非常に特殊な設定が多いような気がします。確かに疲れますね(笑)。特殊でなければどこかで見たドラマの二番煎じのような、そんなドラマが多いような気がします。

 刑事ドラマ(というか犯罪ドラマ)は相変わらず花盛りですが、なんとなくアメリカの刑事ドラマのパクリみたいな感じのものが多いような気もします。何なんでしょう。景気が悪いから安全パイをねらうあまり、あたったドラマに似た感じにしてしまうのか。このあたりはよくわかりません。

「岸辺のアルバム」は名作でしたね。このドラマはホームドラマの概念を変えたと思っています。ある時期の山田太一はすきでした。比べるのはどうかと思いますが、倉本さんより好きでした。ぼくは「男たちの旅路」も印象に残っています。

URL | le_gitan #-

2011/01/25 19:32 * 編集 *

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