Gitanの趣味

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能力のばらつきについて 

 天才と聞くとかなり高い優先順位で思い浮かべる一文がある。どんなものかというと、
「宮本武蔵はたしかに天才だったが、天才がもついやらしさがある」
 というものだ。司馬遼太郎氏が書いていた。著作『真説宮本武蔵』のなかにあったのか、それとも別の雑誌だった、どうもはっきりしない。この言葉を知ったのは、宮本武蔵関係の著作や雑誌をやたらと読んでいた時期だった。あっちの本やこっちの雑誌の内容が頭のなかに雑多に詰め込まれている。
 武蔵に対して興味を持てるのは彼が遠い過去の人間だからであり、もし、同時代を生きる人間であれば、絶対に近づきたくないタイプだとも司馬遼太郎氏は述べている。この意見には全面的に賛成する。たしかに天才と呼ばれる人物には、やっかみもあるが、どこかいやらしいところがあるような気がする。
 その天才ときいてぼくが真っ先に思い浮かべるのはやはり手塚治虫だ。その天才ぶりについてはさまざまに語られていていまさらここで書く必要もない。驚異的な記憶力、作品を仕上げる速さ、複数の作品を同時に描き、虫プロ倒産の際は押し寄せる借金取りをものともせずマンガを描き続けた。並みの人間ではない。
 たしかに手塚治虫という人は天才だったと思う。もちろん批判もあった。よくいわれるのはアニメ制作費の安さである。本来アニメは制作費がかかるものなのだが、テレビアニメのパイオニアである手塚治虫がこれを安く抑えたため、後々まで日本のアニメは安い製作費に苦しめられることになった。
 この指摘はある部分は正しく、しかし、だからこそのメリットもあったのだという。どういうメリットがあったかは、ここでは述べない。個人的な印象でいえば、おそらくメリットよりもデメリットの方が大きかったのではないかと思う。
 考えてみると天才というのは、部分的なものだ。極端なことをいえばひとりの人間のなかにある能力のばらつきだと考えていいのかもしれない。手塚治虫という人物の天才性は、マンガを描くということに特化された能力で、他の局面でそれが発揮されたかどうかは微妙である。
 手塚治虫の御子息である手塚眞氏は、父親がひどい機械音痴だったことをテレビのインタビューで話していた。電話機ひとつ満足に扱えなかったという。これに似たエピソードは黒澤明についてもあり、娘さんが話していた記憶がある。手塚眞氏のインタビューで印象に残っているのは、
「科学がわかっていることと、科学技術を使いこなせるということは別物だ」
 という言葉だ。万能の天才などいないのだ。人間の能力を平らにしてみると、案外誰も彼も同じようなものなのかもしれない。神様は人間を平等に造ったというが、本当にそうかもしれない。
 この前のブログにも登場した豊田有恒氏だが、『あなたもSF作家になれるわけではない』という著作のなかで虫プロ時代のことを書いている。豊田有恒氏は『鉄腕アトム』の脚本を書いていた。
 大卒の初任給が二万円程度だった時代に、六万なんぼの給料をもらっていたというから、当時の虫プロの羽振りのよさは相当なものだったのだろう。豊田氏によれば手塚治虫という人はアイデアの宝庫だったらしい。
 アトムが超能力者と戦う回があった。どのように超能力を打ち破るかというアイデアに苦しんでいたとき、手塚治虫はまたたくまに七つ(あるいはそれ以上だったか)くらいのアイデアを提示してみせたという。
 その中には箸にも棒にもかからないアイデアもあったらしい。お粗末なアイデアを口にすれば天下の手塚治虫の沽券に関わるなどとは思わない人だったらしい。そういう面では素敵な人だったと思う。しかし、同業の漫画家に対しては、激しいライバル心をむき出しにして、付き合いにくい面があったことはあちこちで語られている。
 アシスタントをしていた石坂啓氏は仲間と、
「今回の作品は出来が悪い」
 と、話しあっていた。しばらくして、手塚治虫が物凄い形相で作品を描きなおして持ってきたという。アシスタントの話しを聞いていたのだ。子どもっぽいといえば子どもっぽいが、傍目から見ている分には微笑ましいエピソードだという気もする。当事者にとっては身の竦む思いだったろうが。
 手塚治虫というひとは描き直しが多いこともでも有名だった。作品によってはまったく別物といってもいいほどの修正が加えられていたらしい。アイデアが完全な形で頭に浮かぶというモーツァルトのような話しをよく聞くが、実際は推敲の人でもあったのだ。そのモーツァルトにしても、修正もあれば草稿もあった。
 作品のアイデアについて手塚治虫は面白いことをいっている。加藤芳郎さんの四コマ漫画についてだったと思うが、あるいは別の作家だったかもしれない。加藤芳郎さんということで話しを進めると、加藤さんがアイデアに苦しむというのは、アイデアが浮かばないということではないと手塚治虫はいっている。
 いくつものアイデアが浮かんでいるのだが、その中からどれを選ぶかで苦しんでいるのだと。なるほどと思った。貧相なアイデアのひとつも満足に浮かべることができないわれわれ凡人とは大違いである。自分が天才とは程遠いということがよくわかる(笑)。
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テーマ: 日記 - ジャンル: 日記

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Posted on 2010/10/31 Sun. 20:41    TB: 0    CM: 2

この記事に対するコメント

こんにちは、初めてコメントさせていただきます。
ときどき、記事をまとめ読みさせていただいています。連想が紡ぐ文章のリズムと読み応えに、こんな素晴らしい文を書く方がいるんだな~と感服しております。

宮本武蔵も手塚治虫も黒澤明もモーツアルトも後世に名を残しましたが、そのアクの強さゆえ、社会的に潰されて名もなく消えていく天才も山ほどいるんだろうな、、、なんてことをつい最近、「アマデウス」の傍若無人なモーツアルトを観て思いました。自分の天才を発揮できる分野に巡り合わず、凡人として一生を終える天才の数は、さらに多かったりするのかもしれません。

とりとめのない雑感、失礼しました。
それではこれからも楽しみにしております。

URL | mardigras #-

2010/11/04 01:34 * 編集 *

ありがとうございました

『シネマ・イラストレイテッド』のmardigrasさんですよね。いつも貴ブログを拝見させていただいております。巧みなイラストと映画紹介に尊敬の念さえ感じております。世のなかには物凄い人がいるなあと感動することしきりです。

 さて、天才ですが凡人として生涯を終える天才は、仰る通り数多いると思います。ただ彼らは平凡な人生を送りながら、彼らは案外楽しんでいるような気がします。その才能を発揮できる場を与えられなくても、きっと彼らは彼らにしか見えない世界を思う存分楽しんでいるのではないかという気がします。

 ……でも、少し悔しかったかな。ただ天才性、あるいは才能というやつは、一種の毒気ですから、凡人として生涯を遅れる天才は、案外幸せなのかもしれません。天才の持っている能力の凸凹はきっと周囲と軋轢を生むと思いますから、いまもどこかでありあまる才能に振り回されて苦労している天才の方がいっぱいいるんじゃないでしょうか。

 とにかく、これからも『シネマ・イラストレイテッド』を楽しみにしています。でも、mardigrasさんこそ、凄い才能だと思います。

URL | le_gitan #-

2010/11/04 12:16 * 編集 *

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