Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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連想の蜘蛛の巣 

 最近なぜか関川夏央氏のことを思い出すことが多い。特に理由はない。ぼくにはよくそんなことがある。唐突に昔の体験や過去に読んだ本、観た映画やドラマ、聴いた音楽を思いだすことがある。そのときの気分もセットで思い出すことがあり、これは少し辛い。そんなときは独り言が多くなる。
 とにかく関川夏央氏のことを思い出したのも、いってみればぼくの特性のひとつである。関川夏央氏がどんな人か、知らない人は調べてもらうとして、この方の書いた一文で記憶に残っているものがある。プロの物書きは連想の引き出しをたくさん持っているというものだった。
 それはある品のない週刊誌の記事について述べたものだった。品のない文章ではあるがそれはまちがいなくプロが書いたものだと関川氏は断じていた。そこで連想云々が出てくるのである。
 連想ということでいえば、関川夏央という名前をきいて真っ先に浮かぶのは、やはり谷口ジロー氏である。関川・谷口コンビはいくつかの名作、傑作を生み出している。マンガ原作者と漫画家としてだ。
 たとえば『リンド3』があった。『無防備都市』があった。『事件屋稼業』『要求はなにもない』『坊ちゃんとその時代』シリーズ等々、実際凄いコンビである。なかでも『坊ちゃんとその時代』に登場する夏目漱石の素晴らしさはどういっていいのかわからない。これ以外の夏目漱石はもう考えられない。
 しかし、『無防備都市』というのは考えてみると凄いタイトルである。イタリアン・ネオレアリズモの傑作と同じ名前だ。ロベルト・ロッセリーニの名作映画と同じタイトルを自作につけたとは、これも凄いの一言である。
 ちなみにロベルト・ロッセリーニはあのイングリット・バーグマンと結婚していたことでも有名だ。そのイングリットとときけば当然連想しなければならないのは、ヒッチコックである。
「たかが映画じゃないか」
 というあの名セリフはイングリット・バーグマンに対していった言葉である。自分の監督作品について、たかが映画といえるのは、さすがに天才ヒッチコックである。いつか高島忠雄さんがいっていたが、日本滞在中のヒッチコックはいつでもどこでも血の滴るようなステーキを食べていたらしい。頑固だったのだ。
 ステーキと聞けば、その昔、開高健さんのCMで、肉を毎日何キロだか食べる大男が登場するものがあった。サントリーウィスキーのCMだったと思う。アメリカ人だと思うが何人かで集まり、ステーキを食べている。その中に開口さんも入っていた。肉を食べながらセロリをかじっている男がいた。
 ある日突然ふらりと家を出て、そのまま二十年以上戻らない男というのも紹介されていた記憶があるが、それはたぶん開高さんの創作だろう。ふらりと家を出て戻らない男といえば、もちろん『パリ、テキサス』だ。ヴィム・ベンダースの傑作である。
 主人公は文字通りふらりと家を出た男である。映画の冒頭、荒野を歩いている男の姿が映し出される。そこからどんどん物語が発展していく。カンヌでパルムドールを撮った作品だが、これはいまでも映画のマイベストテンに入ってくる作品だ。
『パリ、テキサス』というタイトルが出れば淀川長治とおすぎの対談集『おしゃべりな映画館』だ。これはいまでもぼくが映画を見るときの、一種のテキストの役割を果たしてくれている。
『おしゃべりな映画館』のなかで取り上げられていた作品のなかで、印象に残っているのはタルコフスキーの『サクリファイス』だった。タルコフスキーとくれば切っても切れないのが水である。この人の水の表現は凄かった。あの黒澤がお手本にしたほどだ。
 水、といえばもちろん一龍斎貞水の怪談語りである。この人が怪談を語る時の顔は恐ろしい。語りも恐ろしいが顔もおっかない。以前にも書いたことがあるが、水のない怪談がどれだけ怖くないかを教えてくれたのはこの方だった。
 その怪談で思い出すのは『牡丹灯籠』だ。ここでも水――雨が凄い効果を出す。伴蔵が女房のお峰を殺す場面は、雨、それも豪雨だった。三遊亭圓朝のこの作品はほんとうに凄い。怪談というが、人間の欲望が複雑に絡み合い、一種のミステリーであり、人間劇場だ。落語の凄さを教えてくれる作品である。
『牡丹灯籠』で重要な役割を果たすのは下駄である。下駄を使った格闘技を見せる人物が登場するのは『男組』である。たしか《風舌流》だったと思うが、破剣の技とかいって、下駄による真剣白羽取りを行い、その後、刀の刃をへし折るのである。凄いのか無茶なのかよくわからない。
『男組』のラストで確か『刺客列伝』の一節が仰々しくつかわれていた記憶がある。どういうものかというと――
「風蕭々として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた帰らず」
 という有名なあれだがこれの中国語版を聴いたことがある。その名も『始皇帝暗殺』という中国映画の最後にこの一節が出てきたはずである。日本語で聞くのとはまた違った趣があった。こういうのをきくとそれぞれの国が持つ言葉の固有のリズムみたいなものにも興味が向かう……

 ……と、まあこんな感じである。こうしてあるキーワードから浮かび上がってくる連想追って書いているが、実はかなりもどかしい。断片的な映像や音楽、言葉などが次から次へと浮かんでくる。
 たとえば関川夏央氏のことから書きはじめたとき、頭のなかでは荒井栄一さんの曲が聞こえていた。『清河への道』である。理由は、関川さんが韓国について多くの著作があるからだ。同時に豊田有恒さんといういまでは知る人も少なくなったSF作家の名前が浮かんできた。この人も韓国ウォッチャーだった。
 すると、当然『スーパージェッター』という古いテレビアニメが浮かんできた。宇宙からではなく未来からやってきたという少年を主人公にしたこの物語は豊田さんをはじめ筒井康隆さんなど多くのSF作家がかかわっていた。
 関川夏央氏、荒井栄一氏、豊田有恒氏、スーパージェッター、清河への道、フォークギターの響き――フォークギターではないアントニオ・マリーンというクラシックギターの名器でAmというコードを弾き、長谷川きよしは小指でミュートする。
 こういったものは同時に浮かんでくる。文章は相当混乱しているが、混乱を承知で続ければ、清河への道は高橋竹山を呼び起こす。なぜならこの津軽三味線の巨人は韓国民謡『アリラン』をレパートリーにしていたからだ。
 頭に浮かんだものをいっきに書いてしまえる方法があればきっとすっきりすると思う。語りつくせないもどかしさのようなものがいつもある。が、仮にできたとしても、それをやればこの文章のように混乱して収拾のつかないものになってしまうだろう。自分を納得させるためならそれでもいいのかもしれない。
 と、こう書いたとき浮かんでいるのは丸谷才一氏の『文章読本』である。このなかで丸谷氏は、はじまりがあり終わりがあるから皆は文章を一本の線として考えがちだが、そうではなく面としてとらえるべきだといっていた。
 一本の線といえば『長い灰色の線』である。ジョン・フォードだ。左幸子さんには『遠い一本の道』という作品がある。監督作品である。だから当然、ダークダックスの『銀色の道』が聞こえている……

 この辺でやめます(笑)。これはぼくという人間の頭のなかである。こんな感じでいつも雑多なイメージが渦巻いている。いってみればぼくは連想の蜘蛛の巣にからめとられているようなものかもしれない。
 ただ、いつもとはいっても年中こんな感じではない。いや、こういう感じはいつもだが、仕事やプライベートで文章を書いたりして、頭の動きが活性化してくると、特にこの感じが強くなってくる。ブログを書いているのはだいたいそんなときである。
 仕事やプライベートで文章(計算も含めて)を書いているときはあるテーマを追求しているときが多い。そういうときでも、集中してくると、そのとき追いかけているテーマとは無関係なイメージが次々と浮かんでくる。仕事を終えてもそのイメージがなかなか消えないときがある。このブログはそんなときに書くことが多い。

 それから今回はいっきに書いたので、いつもにもまして、誤字脱字、御変換が多いと思いますが、そのあたりは割り引いて読んでやってください。
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Posted on 2010/10/25 Mon. 21:06    TB: 0    CM: 0

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