Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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光と影 

 エルビス・プレスリーが42歳で急逝したとき、様々な裏話をあちこちで読んだ。奇行や奇妙な性癖について暴露的に書かれたものだった。事実であるかどうかしらないが、その一部は目にしたことがある。
 もうかなり前のことで記憶も曖昧になっているが、食事に関していえば、カリカリに焼いた大量のベーコンとマッシュポテトにグレービーソースをかけたものが好きだったと読んだ記憶がある。有名なピーナッツバターバナナサンドは、ずいぶん後になってから知った。
 これはプレスリーが急逝して数年してからのことだ。十台くらいテレビを並べて別々の番組を見ていたという話をしていたのは、宇崎竜童さんだった。奥さんと一緒に「プレスリー足跡をたどる旅」的な番組の中で、そんなことをいっていた。その番組ではプレスリーの生家も紹介していた。ほんとうに小さな家だった。
 アメリカ文化を総合的(脈絡なくともいえるが)に紹介した本があった。そのなかでは当然プレスリーにも触れられていた。ビートルズの台頭によってプレスリーは絶対的なキングではなくなったと書かれていた。
 しかし、衛星中継されたハワイのコンサートやいくつかの映画に登場するエルビスの圧倒的なパフォーマンスを見れば、表現者としての才能においてビートルズを凌ぐ天才だったとも書いていた。単に好みの問題であるようにも思うが、そういう考えを持った人もいたというのは事実だ。
 個人的にはよくわからない。ほとんどあらゆるジャンルの音楽が好きだが、ひとりにそこまで熱狂することの少ない性格なので、プレスリーとビートルズを比較したりはしない。ぼくにとってはプレスリーもビートルズも天才だということだ。常人の及ぶところではない。
 ただ、プレスリーの方が語られた様々な奇行も含めて、イメージのふくらみは大きいように思う。巨大な光は巨大な影を生む。圧倒的な表現者は自らの内にある種の歪みを抱えていると書かれた本を、以前読んだことがある。時代の歪みのようなものを体現しているというのだ。そうかもしれないと思う。
 ときどき、異能ともいえる表現力で大衆を魅了する表現者が登場することがある。皆が漠然と感じている時代の空気を、彼らは表現しているのかもしれない。皆が感じている漠然とした時代の空気というのは、不安であることが多いように思う。たとえ不安であっても、自分を不安にするものを、人は見たいと思うときがある。

 多くのスターが、その奇行を面白おかしく語られることがある。そのなかには捏造されたものや、大げさに表現されるもの、ことによると本人の演出もあるのかもしれない。しかし、実際に自分自身にも制御不可能な自分がいることも確かだろう。演技だけでは必ずぼろが出る。
 限りなく狂気に近い精神状態にまでのぼりつめていく自分が存在してこそ、リアリティのある演技になるのだろう。光と影はそのコントラストが強いほど強烈な印象を与える。その差が大きければ大きいほど、表現力のインパクトは強くなる。
 しかし、本人は常に魂が引き裂かれるような痛みのなかにいるのかもしれない。その痛みから逃れるためならどんなことでもしてしまうほどの苦痛。自分自身を破滅させかねないほどの苦痛を引き受けたから、彼らは光り輝いているような気がする。
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カテゴリ: 音楽

テーマ: ロック - ジャンル: 音楽

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Posted on 2009/07/04 Sat. 14:19    TB: 0    CM: 2

この記事に対するコメント

おはようございます。
マイケル=ジャクソンの存在も同じものを感じますね。彼も天才でした。
「光と影」を感じる、圧倒的な存在感のある表現者は、年々減っているように思うのですがいかが感じられますか?
「無色透明」というか、一見光は当たっているように見えるのですが、透明なので影がない、といったところですか……。
「天才と○○とは紙一重」と言われますが、才能のベクトルとバランスをとるため、逆方向にベクトルは働くのかもしれません。人間、バランスが大切と言われますが、振り幅の小さい人間は面白くないかも……と思います。

「凡才が何を言うか!」と言われるかもしれませんが、凡才で良かったと思っています。

URL | お夕 #wikz35BA

2009/07/05 07:38 * 編集 *

コメントありがとうございます。

前にこんな話をきいたことがあります。破天荒な芸人が少なくなってきたのは、テレビの普及が大きいと。つまり、テレビはお茶の間にあるもので、あまり道に外れた行いをするような芸人は、受け入れられないということです。

かつて芸人を見るのは寄席に限られていたころは、無茶苦茶な人は山ほどいて、ようするに芸人にしかなれないような人ということです。そういった人の面白さは、やはり飛び抜けていたらしく、その面白さはいまの芸人さんの比ではないと聞いたことがあります。

あの寅さん、渥美清さんでさえ、浅草のフランス座に出ていたころの面白さは、後の渥美清の数倍あったという話を聞いたことがあります。そういった反社会的なものは、テレビのサイズには収まりきれないものなのだろうという気がします。面白がる前に引いてしまうというところでしょうか。

つき抜けた面白さというのはどこか狂的なものだろうと思います。しかし、狂気を受け入れるにはこちらも多少狂的な気分にならないと。絶対にお茶の間では無理だろうと思います。あのマイケル・ジャクソンに熱狂する人々の姿も、マイケルのパフォーマンスに負けず劣らずです(笑)。

仰る通り「天才とナントカは紙一重」ですね。ただいつも思うことですが、狂気が天才と同居できる時間は大変短く、自己の模倣ではなくその瞬間を再現するために、苦悩するのではないかと思います。しかし、何をしてもそれが自己の模倣でしかないことに気づきはじめると、無限地獄が待ち受けている。結局、破滅への道を突き進むしかない。

プレスリーもマイケルも、その他の天才たちも、突き抜けるような高揚感と奈落の底に落ちて行くような絶望感を行きつ戻りつしつつ、破滅への道を進んで行ったのかもしれません

個人的には、天才にだけ見える世界を見てみたいと思うことがありますが、ちょっと怖い気もします(笑)。

URL | gitan #-

2009/07/05 19:02 * 編集 *

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