サイズの違い
別にケチをつける気はないので、まず最初にお断りしておきます。木村拓哉さんという人はどちらかといえば好きである。これだけでは不安なので、もう少し付け加えると、もしかすると近年絶えて久しかった本物のスターになるかもしれない逸材だと思ったりする。『武士の一分』を見て特にそう思った。
と、いうことを前提に昨日から放送が始まった『ミスター・ブレイン』について思うところを並べてみる。まず見た瞬間に思ったことは、
「あ、CSI・マイアミのオフィスだ」
で、あった。
あのガラスとハイテク機器で飾り立てられた科警研はCSIのオフィスによく似ている。とくにCSI・マイアミのオフィスに似ていると思った。ホレイショ・ケインが登場して、かっこよく決め台詞をいっても、さほど違和感はないように思える。
『CSI・マイアミ』についてはご存知の方も多いと思う。WOWOWで放送されているアメリカの刑事ドラマだ。偶然、似てしまったとはどうしても思えない。日本でもCSIのようなドラマを作りたいという思いがあって、それだけではいくらなんでもパクリといわれそうだから、そこに話題の脳科学を加えてみた。そんなふうに思えなくもない。
どちらが上か下かということではないのだが、実写ドラマに関していえば、アメリカのドラマの方が、やや面白いかなと思う。もっともこれは放送されている絶対数の違いにもよるだろう。
日本で放送されているドラマは向こうでもヒットした選りすぐりのドラマで、面白いのは当たり前、といわれれば、その通りだと思う。翻って日本のドラマはそれこそ玉石混淆、数が多いのだから面白いものもあればそうでないものもあるという、当然の事実に行きあたる。
ただ向こうでヒットしたドラマがこちらでも必ずヒットするかといえばそんなこともない。以前『ダラス』というドラマがあった。アメリカでは大ヒットしたが、日本ではさっぱりだった。国が違えば好みも違う。
ではあるが、そういった点も含めて、やはりトップレベルものに関していえば、アメリカのドラマの方が面白いのかなという気がする。ヒットした彼我のドラマを比べてみるとき、そんな思いを強くする。
これがアニメとなると一気に形勢は逆転する。アイデア、ストーリー、演出、登場する小物類に至るまで、日本アニメは他の追随を許さない。これは本気で思っている。日本のドラマでもヒットしたものの多くが、アニメやコミックを原作にしている。
『ミスター・ブレイン』に話を戻すと、テレビサイズの面白さはあったように思う。しかし、劇的な面白さというほどではなかった。それはなにもこの番組に限ったことではなく、他のヒットしたドラマに関してもいえることだ。
たとえば『トリック』もそうだし『相棒』でも、それは同じだ。『ヒーロー』もそうだった。『ガリレオ』もそうだ。だからヒットしたドラマを映画化した際、無理を感じることがある。テレビの日常を映画の非日常に持ち込むには無理がある。
テレビドラマはあまりにも日常生活に入り込み過ぎていて、どれだけ金をかけて大きなスクリーンに移植しても、それは日常の拡大にすぎない。映画的な壮大な嘘にはつながらない。そんな気がするのだ。
ある時代が過ぎてしまうと、見ることにある種のてれを感じるのがテレビドラマだ。映画、特に名作と呼ばれるものは、たとえ時代が変わっても鑑賞に耐えられるものが多数ある。扱っている題材にもよるのだろうとは思う。
だが、たとえば『大統領の陰謀』という映画のタイプライターは、たとえノートパソコンとインターネットの時代になっても、魅力的な映画的物体だ。あのタイプを打つリズミカルな音は、いまの時代に聴いても十分感動的だ。
たぶん、『ミスター・ブレイン』はこれからも見ると思う。リアルタイムで見ることは少ないと思うが、録画をして気が向いたときに見ると思う。これからどんな展開になるのか、楽しみにしている。
このドラマもいつか映画化されるのだろうか。
と、いうことを前提に昨日から放送が始まった『ミスター・ブレイン』について思うところを並べてみる。まず見た瞬間に思ったことは、
「あ、CSI・マイアミのオフィスだ」
で、あった。
あのガラスとハイテク機器で飾り立てられた科警研はCSIのオフィスによく似ている。とくにCSI・マイアミのオフィスに似ていると思った。ホレイショ・ケインが登場して、かっこよく決め台詞をいっても、さほど違和感はないように思える。
『CSI・マイアミ』についてはご存知の方も多いと思う。WOWOWで放送されているアメリカの刑事ドラマだ。偶然、似てしまったとはどうしても思えない。日本でもCSIのようなドラマを作りたいという思いがあって、それだけではいくらなんでもパクリといわれそうだから、そこに話題の脳科学を加えてみた。そんなふうに思えなくもない。
どちらが上か下かということではないのだが、実写ドラマに関していえば、アメリカのドラマの方が、やや面白いかなと思う。もっともこれは放送されている絶対数の違いにもよるだろう。
日本で放送されているドラマは向こうでもヒットした選りすぐりのドラマで、面白いのは当たり前、といわれれば、その通りだと思う。翻って日本のドラマはそれこそ玉石混淆、数が多いのだから面白いものもあればそうでないものもあるという、当然の事実に行きあたる。
ただ向こうでヒットしたドラマがこちらでも必ずヒットするかといえばそんなこともない。以前『ダラス』というドラマがあった。アメリカでは大ヒットしたが、日本ではさっぱりだった。国が違えば好みも違う。
ではあるが、そういった点も含めて、やはりトップレベルものに関していえば、アメリカのドラマの方が面白いのかなという気がする。ヒットした彼我のドラマを比べてみるとき、そんな思いを強くする。
これがアニメとなると一気に形勢は逆転する。アイデア、ストーリー、演出、登場する小物類に至るまで、日本アニメは他の追随を許さない。これは本気で思っている。日本のドラマでもヒットしたものの多くが、アニメやコミックを原作にしている。
『ミスター・ブレイン』に話を戻すと、テレビサイズの面白さはあったように思う。しかし、劇的な面白さというほどではなかった。それはなにもこの番組に限ったことではなく、他のヒットしたドラマに関してもいえることだ。
たとえば『トリック』もそうだし『相棒』でも、それは同じだ。『ヒーロー』もそうだった。『ガリレオ』もそうだ。だからヒットしたドラマを映画化した際、無理を感じることがある。テレビの日常を映画の非日常に持ち込むには無理がある。
テレビドラマはあまりにも日常生活に入り込み過ぎていて、どれだけ金をかけて大きなスクリーンに移植しても、それは日常の拡大にすぎない。映画的な壮大な嘘にはつながらない。そんな気がするのだ。
ある時代が過ぎてしまうと、見ることにある種のてれを感じるのがテレビドラマだ。映画、特に名作と呼ばれるものは、たとえ時代が変わっても鑑賞に耐えられるものが多数ある。扱っている題材にもよるのだろうとは思う。
だが、たとえば『大統領の陰謀』という映画のタイプライターは、たとえノートパソコンとインターネットの時代になっても、魅力的な映画的物体だ。あのタイプを打つリズミカルな音は、いまの時代に聴いても十分感動的だ。
たぶん、『ミスター・ブレイン』はこれからも見ると思う。リアルタイムで見ることは少ないと思うが、録画をして気が向いたときに見ると思う。これからどんな展開になるのか、楽しみにしている。
このドラマもいつか映画化されるのだろうか。
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