Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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大晦日 

 いよいよ、今年も終わりである。この時期になると思いだす曲がある。『大晦日』という曲で、作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎、そして歌ったのは桜井久美さんだった。ちなみにこの方は《くみ》と読むのではなく《ひさみ》と読むらしい。
 この人が歌った曲でぼくがよく知っているのは『おはよう』という曲だが、肝心の『大晦日』という曲は、昔ラジオのCMで聴いて、それ以来年の瀬になると気になるのだが、いまだにちゃんと聞いたことがない。古い昔にCMで聴いただけの曲を好きだというのも変だが、とにかく好きである。
 では、絶対に聴くことができないかというとそうでもない。youtbeで昔『風になりたい』を歌った川村ゆう子さんが『上を向いて歩こう』と『大晦日』を歌っているから聴くことはできる。だが、こちらの方は歌詞がよく聞き取れない。そのことがとても残念なのだ。岡本おさみさんの詞はじっくりとききたい。
 それに、川村ゆう子さんはとても好きな歌手だが、ぼくが聴きたいのは、あくまでも桜井久美さんの『大晦日』であるという点も重要だ。
 とにかく今年も一年が終わる。日本にとって厳しい年だった。いや、過去形でいってはいけない。厳しさはいまも続いている。過酷といってもいい状況に、今も多くの人々がおかれ、苦痛のなかで、古い年を送りだし、新しい年を迎え入れようとしている。人の思いには関わりなく時は過ぎていく。残酷なものだと思う。
 ずっと前にFMラジオで一種の歌謡ドラマのよな番組があった。新しく発売されたアルバムを取り上げ、そこにおさめられている曲をモチーフにした物語を女性DJが語るという趣向で、厳密にいえば歌謡ドラマではないのかもしれないが、他に言いようがないからそういうことにしておく。とにかくいかにもFM(当時の)らしい番組だった。
 余談だが、その番組で長谷川きよしさんのアルバム『After Glow』が取り上げられたことがあった。
「二人は星を持たない男と女だった」
 という語りと共に短い物語が語られ、その時流れた曲があの名曲『一言』である。印象的なピアノのイントロに続き――「心配しているなんて、あなたらしくもないわ」と歌われるあの曲は掛け値なしの名曲だと、今もかたく信じている。
 それはさておき、その番組のなかで大晦日についてこんなセリフが出てくる――と、ぼくは記憶しているが、あるいは間違っているかもしれない。
 新しい年がくるといっても今日が明日になるだけのこと。
 確かにそうなのだ。新しい年を迎える。しかし、夜が来て朝が来る。ただそれだけのこと――といってしまえばその通りである。
 世間には大晦日も元旦も無関係で働き続けている人々が少なからずいる。知り合いにも12月30日まで働き、31日だけかろうじて休み、1月1日から5日まで働くという人がいる。ほんとうにご苦労様である。世界は天才によって支えられているのではなく、そういった地味に、しかもたゆまず働き続けている人々に支えられているのだとあらためて思ったりする。我が身を振り返ると実に忸怩たる思いにかられたりもする。
 とにかく、大変な年が終わる。
 来年がどんな年になるのかわからないが、
「我々にとって良い年でありますように」
 そう祈らずにいられない。
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Posted on 2011/12/30 Fri. 22:47    TB: 0    CM: 2

家政婦を見た 

 われながら実にあざといタイトルをつけたものだと、いささか忸怩たる思いがある。元ネタが見えみえだ(笑)。
 しかしそれをいえば元ネタの『家政婦のミタ』だって同じだ。タイトルだけをみれば『家政婦は見た』のパロディだ。もしかするとあのドラマは、タイトルから先に生まれたのかもしれない。
 笑われるのを承知で書くと、あのドラマ――『家政婦のミタ』をはじめて見たとき、これはSFドラマだと確信した。本当の話しである。松嶋さん演じるあの家政婦は未来からきた猫型ロボット――ではない家政婦型ロボットに違いないと信じていた。あの無表情、抑揚のない話し方、声の調子はいつも同じ、
「やりすぎだよ、松嶋さん」
 と、思わず突っ込みをいれたくなるほどにアンドロイド的だった。このドラマの松嶋さんを見ていると、美人の構成要素のなかの表情という項目は、かなり大きな比重を占めているのだとわかる。
 あの物語は色々な見方ができるが、ようするに『ドラえもん』である。のび太君はもちろん長谷川さん演じるあのダメおやじだ。家政婦型ロボットのミタさんは四次元ポケットのようなドクターズバックから、みんな(この場合は家族)が欲しがるものを何でも取り出してくれる。しかし、ただひとつ彼女にも取り出せないものがある。それは家族の絆――なんて勝手に想像していた。
 しかし、夜の十時台に『ドラえもん』を持ってくるというのはどうだろうと、観ている方としてはいささか心配していた。SFドラマである。あの時間帯に未来からやってきた家政婦型ロボットが活躍するドラマを放送して視聴率など稼げるはずがない……。
 ぼくは馬鹿である。さすがにそれはないだろうと思いつつ、しかし、半ばそういう落ちがあるのではないかと本気で考えていた。
 たしかに馬鹿ではあるが、そう思えるほどに、あの家政婦は人間離れしている。ドラマが面白くないとは決していわないが、彼女が人智を超えた存在であることはまちがいない。デフォルメされた人間像――というにも強烈過ぎて、また、
「やりすぎだよ、松嶋さん」
 と、苦笑が浮かぶ。
 ある種のスーパー家政婦さんが活躍する物語といえば、幸田文さんの『流れる』がある。もちろんこちらは小説的日常の中の住人なので、さすがに四次元ドクターズバックはもっていないが、それでも厄介な家にやってきて山積する問題をてきぱきと片づけていくあたりは、どうしてどうしてミタさんに負けない見事な家政婦ぶりである。
 こう考えてみよう。家政婦のミタさんは、ある種の理想だ。その昔、レイモンド・チャンドラーは自身が産みだしたヒーローであるフィリップ・マーローについて、存在したこともなければ存在することもできない、彼はある種の可能性であり理想である――とか、たしかそんなことを語っていた気がする。ようするに理想にトレンチコートを着せてみたといっているわけだ。理想にエプロンをつけさせたのがミタさん、そう割り切れば、家事から物真似まで何でもこなすスーパー家政婦ぶりにも納得がいく。
 理想的な家庭の裏側を描いた傑作といえば、山田太一さんの『岸辺のアルバム』を思いだす。こちらはリアリティ満載だった。ある種の理想を擬人化するような真似はせず、ひたすら生々しく崩壊していく家庭を描き切った。
 これも時代の変化だろう。ホームドラマを描いてすら、いまのドラマはどこかにSFの匂いがする。どこかに非現実の匂いがするのだ。あんな人間がいるはずがない。そう思えてしまう登場人物が少なからず登場する。
 もちろん、それが悪いといっているのではない。それはそれで結構面白い。ドラマは結局、時代のものである。たぶん、いまのドラマが一番いい(ちなみにこれは、淀川さんのパクリである)。
 あのドラマのなかで、おっさんのぼくが一番共感できるのは、やはり、長谷川博己さん演じる《のび太君》親父である。あの情けなさはぼくに通じる。そして、好きなキャラクターは《うららちゃん》だ。

カテゴリ: テレビドラマ

テーマ: テレビドラマ - ジャンル: テレビ・ラジオ

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Posted on 2011/12/03 Sat. 20:29    TB: 0    CM: 0

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