Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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思い残しの車 

 V型8気筒、3200CC、300馬力。いうまでもなくこれはエンジンである。さらに付け加えれば馬力荷重はたしか5.7kgだったと思う。いまならあっても驚かないスペックだがこの物語が発表された1978年となると話は別だ。
 ダットサンSR320という名前が与えられたこの車は、外観はセドリックだった。覆面パトカーである。排ガス規制といわれても、いまの時代ぴんと来ない方の方が多いのかもしれないが、とにかくあのころ、車は厳しい排ガス規制のために軒並みパワーダウンしていた。
 排ガス規制のために日産自動車は計画していた豪華なGTを断念せざるを得なくなった。そこで無用の長物と化したこの怪物を警察に提供。ありふれたセドリックのボディを被せ、当時の基準でいうと《怪物パトカー》が出来上がったというわけだ。ちなみにこのGTはシルビアの名前で発売される予定だった。
 いまなら、
「300馬力だぜ」
 と、自慢しても、
「そうなの――300馬力なんて、地球環境に負荷をかけるだけじゃない。最先端はハイブリットでしょう。電気自動車もあるし」
 なんて言われるだけかもしれないが、当時はそうではなかった。巨大なパワーを持つ車に素直に憧れを持てた時代だった。より正確にいえば、300馬力に憧れを持ちつつ、こんな車は将来もう造れないかもしれないという不安を感じはじめた時代だった。
 するとこの物語は、ひとつの時代の終わりを、化け物のような車に託して描いたのかもしれないと、穿った考えにとらわれてしまう(笑)。まさか作者にそこまでの考えがあったとは思えないが、しかし、優れた作家は無意識のうちに時代の空気を感じ取るという。矢作俊彦はもちろん優れた作家である。
 その後、技術革新により、排ガス規制をクリアしつつ大馬力の車が続々と登場するが、みんな心のどこかで夢の終わりは意外に近いところにあるかもしれないと考えていたような気がしてならない。環境問題も資源の問題も、根本的には何も解決されていなかったのだ。
『マイクハマーへ伝言』は最初に読んだ矢作俊彦氏の作品ではなかった。最初に読んだのは『リンゴォ・キッドの休日』だった。好みは後者の方だが、インパクトがあったのは『マイクハマーへ伝言』だ。
『マイクハマーへ伝言』はV8の怪物パトカーに仲間を殺された五人の若者の、奇妙な復讐劇であり、あくまでも個人的な感想だが、矢作俊彦版『アメリカングラフティ』のような印象もあった。
 この物語を読んだとき、ぼくは田舎町の少年で、ヨコハマの洗練された若者たちとはどこにも通じるところはなかった。主人公の五人はぼくよりも少し年上だった。地域性を抜きにしても、全くといっていいほどぼくに似たところはなく、この主人公たちに共感することはできなかった。それでも、この物語は印象に残った。
 今でもときどき本棚から抜き出して気が向いたページに目を通すことがある。何度か読んでいるが、さすがに今はすべてを読むこともない。それでもぱらぱらとページをめくっていると、いまでも印象的な言葉に出会うことがある。
 たとえば、環境とかエネルギー(エナジーと書かれていたような気がするが)とかそういったものを気にしなくてもよかった時代の思い残しにつくられた車。ダットサンSR320を登場人物(作者)のひとりがそう評する。こういうところがうまいなあと思う。
 もうひとつ印象に残っていることがある。この作品が最初にでたとき、本の帯の紹介文はハードロマンの雄、西村寿行氏が書いていた。矢作俊彦さんと西村寿行氏というのは、なんとも不思議な取り合わせという感じが、いまならする。
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カテゴリ: 読書

テーマ: 感想 - ジャンル: 小説・文学

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Posted on 2011/03/29 Tue. 23:04    TB: 0    CM: 0

パクリと才能 

 敵を作りたくないので、悪口はできるだけいわないようにしている。しかし、今回はどうしても一言いいたい。といって大したことではない。人生を左右したり、日本の将来にかかわるようなことでもない。
 テレビドラマである。先日最終回をむかえた『LADY』という美女北川景子主演のドラマだ。ちなみにこのドラマにはもうひとりの美女、木村多江さんも出ていた。いいたいのはふたりの美女のことではない。すぐれた海外ドラマがあり、その安易な日本版に対する、素人の考察だ(笑)。
 このことは以前、上戸彩さんが主演したドラマ『絶対零度』のときにも書いた。面白いドラマがどこかにあるからといって、それを安易に真似るのはどうかと思う。いや、安易かどうかはわからない。しかし、真剣に考えてこの程度であったらもっと悲しいと思うから、やはり安易に考えたのだということにしておく。
 とにかく、面白いドラマがどこかにあるからといって、真似るのは勇気がいる。あるいは本物の才能が必要だ。たとえば黒澤明の「用心棒」はダシール・ハメットの『血の収穫』と『ガラスの鍵』が元ネタになっていた。有名な話だ。
 とある対談のなかで、インタビュアーがそのことに触れたときの黒澤明の態度は立派だった。正直に、
「ほんとうなら許諾をえなければならないほどだ」
 と、いってのけた。しかし、D・ハメットの作品から着想の多くを得ていることを認めてさえ、『用心棒』は傑作だった。つまり究極に近い表現は仮に元ネタがあったにせよ、独立した名作として語り継がれることを証明してみせたわけだ。
 嘘か誠か知らないが、デュマは盗作だといわれたとき、
「お前が書いたからだめだったんだ。おれが書いて傑作になった」
 といったらしい。心意気か開き直りかは微妙だが、まあたいしたものだ。こそこそするから馬鹿にされるのだ。こういうことは姑息にやってはいけない。堂々とやろう(笑)。ただし、他人の作品をもとにあらたに物語を造るのは、ある意味、全く新しい物語を造るよりも才能が必要かもしれない。
 で、美女北川景子主演の『LADY』だ。はっきりいえば、あれはクリミナルマインドのパクリである。特に第一話は本家クリミナルマインド・シーズン5(だったと思う)の重要な部分をちゃっかりいただいていた。お断りはなかったと思う。こういうところがいやなのだ。
 上戸彩の刑事ドラマのときにも感じたことだが、オリジナルを想起させる場面を入れながら、一切そういったことに触れずにやってしまうところが、なんともやりきれない。それでも、本家をしのぐほどの面白さがあれば、まあ許せる。そうでないから、うんざりするのだ。
 上戸彩の『絶対零度』もそうだし今回の『LADY』もそうだ。本家に遠く及ばない。和歌における本歌取りには批判もあるようだが、表現技法として認められている。認められるためには、それなりの技術がいる。はっきりいえば『LADY』にはそれがなかった。少なくともぼくには見えなかった。
 脚本で負け、演出で負け、役者で負けている。物語の厚みがまるで違う。ぼくにはそう思えてならない。

カテゴリ: テレビドラマ

テーマ: テレビドラマ - ジャンル: テレビ・ラジオ

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Posted on 2011/03/28 Mon. 20:47    TB: 0    CM: 0

原発と未来 

 時期が時期だけに軽はずみなことは言えませんが、原発について立ち止まって一度考えるべき時期に来ているのではないかと、今回ほど思ったことはありません。『ゴルゴ13』に原発についての問題を提起した一編があったと記憶しています。『二万五千年の荒野』だったと思います。
 我々が膨大なエネルギーを使わなかった時代に戻れない以上、現時点では原発がどうしても必要である。しかし、そこには常に危険がつきまとう。では、どうすればいいのか。物語は我々に問いかける形で終わっていました。
 しかし、この問いかけがなされた時点で答えはすでに出ていました。我々の生活は原発なしでは成り立たなくなっていたか、少なくとも原発という存在を組み込んでこそ成り立つ将来像が緻密に描かれていたからです。
 原発は危険だというのは一面の真理だとは思います。しかし、その一方で原発の安全性が極めて高いことも事実だと思います。今回の事故は、想定を超えた災害が起きたためだというのは言い分としてはもっともな部分もあろうかと思います。
 ここのところで誤解を招きたくないので、重ねていいますが、原発――少なくとも日本の原発は世界でも屈指の安全性を持っていると信じています(というか信じたい)。ただそれだけの安全性をもってしても今回の事故が防げなかったということにショックを受けているのです。
 想定外の災害といいますが、相手は自然です。人間の思惑では動いてくれません。たとえば、今回の経験を踏まえた危機管理対策に基づく原発を建造したとしても、将来これまで最高だと思われていた災害を軽々と超える災害に見舞われる可能性は、絶対にないとは言い切れません。
 人間の歴史ではなく地球の歴史で見てみると、我々の想像を絶するような出来事はいくらでもおきています。人類は謙虚にならなければいけないとよく言われますが、謙虚にならざるを得ないというのが本当のところではないでしょうか。人智の及ばないことというのは無限にあると思っています。
 安全で安定的なエネルギーを大量に供給しなければやっていけない社会をどう評価するかは別にして、いまや原発を無視することも否定することもできないということは、深く理解するべきだと思います。
 原発に対する立場はそれぞれですが、その恩恵をどこかで受けて生活しているという現実をから目をそらすことはできないし、そらしてはいけないと思います。いったいわれわれはどうすればいいのか。賛成、あるいは反対の立場を超えて、真剣に考えなければならないという思いを強くしています。
 ぼくは市井の名もない一人にすぎません。ぼくの発言で何かが変わるということは絶対にありませんが、逆にいえばだからこそ、考えてみなければならないと思っています。この場合考えるというのは、青筋を立てて考えるというのではなく、頭の隅にいまの自分たちの暮らしの背景にあるものを、わずかでもとどめておくということです。

 最後に、今この瞬間にも暴走しようとする原発と戦い続けている方々には感謝してもしすぎることはありません。皆さんが、無事に家族のもとに帰ることができますように祈っています。暴走する原発と書きましたが、あくまでも比喩的な表現です。今回の原発事故がチェルノブイリのようなものでないことは、一応認識しているつもりです。

カテゴリ: 未分類

テーマ: 日記 - ジャンル: 日記

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Posted on 2011/03/19 Sat. 16:10    TB: 0    CM: 0

東日本巨大地震 

 そろそろブログを更新しようと考えていましたが、さすがにその気になれません。マグニチュード9.0。想像を絶する自然の力に愕然としました。ひとりでも多くの方が救われることを祈っています。

カテゴリ: 未分類

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Posted on 2011/03/13 Sun. 12:56    TB: 0    CM: 2

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