Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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終わりのはじまり 

「あんたのことを恨んでるやつも大勢いるが、仏様みたいに思っている人も大勢いる」
「なあに、おれなんかやけくそで生きてるみたいなものさ」
 このやりとりはテレビ版『座頭市』のなかのものだ。貫録のある渡世人に扮した中山仁と座頭市・勝新太郎のやりとりである。この前から座頭市を引きずっている。時がたつほどに腹が立つのは『座頭市 The Last』である。どうしてあんな終わり方しかできなかったのか。
 それが可能なら、監督と脚本家のところに怒鳴りこんでいきたいほど腹が立つ。勝新太郎の育てた永遠不滅のキャラクターをあんな形で終わらせたことへの憤りがどうしても消えないのである。
 あるキャラクターの終焉を描いた映画で思い出すのは『ラスト・シューティスト』だ。御存じの方も多いと思う。J・ウェイン最後の映画である。老いたガンマンの最期を描いたこの映画の冒頭、それまでJ・ウェインが主演した幾多の西部劇の名場面を巧みに繋ぎ、それを映画のキャラクターの人生に仕立てていた。
 実にうまいやり方だった。方法論として無理がなかった。なによりもJ・ウェインという稀代の西部劇俳優に対する敬意と愛情が感じられた。色々物議を醸す発言もあったけれど、ぼくたちは皆あなたが好きだったという温かさにあふれていた。
 翻って今回の座頭市である。脚本家に座頭市というキャラクターへの愛情があったのだろうか。というよりも、この脚本家は座頭市を知っていたのだろうか。職業として知っているという問題ではない。座頭市というキャラクターに対する愛情があったのかを問いたいのだ。

 個人的に考える今回の座頭市の最大の敗因は、香取君の年齢だと思う。最後の座頭市を演じたとき主演の勝新さんはすでに初老だった。香取君は、勝新さんが最初に座頭市を演じた年齢だという。
 座頭市の長い旅の果てといわれても、どうしても見えないのである。これも番外編のひとつ、あるいは座頭市映画の亜流だと思えばまだ納得がいくし腹も立たない。これが座頭市の旅の終わりだといわれるから腹が立つのである。
『ラスト・シューティスト』のJ・ウェインはまちがいなく老いていた。映画の冒頭にかつて彼が主演した幾多の西部劇の名場面を見せたことはうまい演出だった。若き彼がスクリーンの中で老いていくのである。そして、老境に差し掛かった彼がいよいよ登場する。だから胸にぐっとくる。観客の映画史とダブるからだ。
 仮の話として勝新さんの年齢に近い優れた俳優さんが今回の座頭市を演じれば、まだいくらかはましだったかもしれない。しかし、三十代の香取君に座頭市の長い旅の終わりを演じさせたことにはどだい無理がある。
 これは推測だが、今回の最後の座頭市に感動したという人は、勝新さんの座頭市を見たことがない方が多いのではないだろうか。ぼくが知っている座頭市映画とはまったく別の映画を見ていた可能性がある。

 では、香取君では無理だったのか。一概にそうとも言えないような気がする。ここから先はまったくの素人考えなので、その点を割り引いて読んでいただきたい。香取君を主演に据えた座頭市なら、終わりではなく、長い旅のはじまりを描けばよかったのではないだろうか。
 勝新さんのお弟子さんである松平健さんが舞台で座頭市を演じたことがあった。座頭市の生い立ちに関係したストーリーだった。市は捨て子で、その彼を育てのが中村玉緒さんで、検校になるといって出かけていったが、結局やくざになって戻ってくる。そんなストーリーだったと記憶している。
 香取君の年齢が座頭市をはじめたときの勝新さんと同じ年齢なら、市がどうして故郷を捨てて旅に出なければならなかったのかを描けば、それなりに様になったような気がする。終わりではなくはじまりを描くことで最後とする方がよっぽどよかったのではないか。
 真人間に戻ろうとする座頭市ではなく、真人間だった座頭市が、腕に覚えの居合で人を殺め、凶状持ちになり故郷を追われる。そこを映画のラストに持ってくる。その先に、勝新座頭市の様々な名場面をつないで入れれば、そこからはじまる座頭市の過酷な旅を描くことになるのではないか。
 冒頭でも書いたが、おれなんかやけくそで生きているみたいなものさ、というセリフの重みを製作者は考えるべきではなかったのか。ひとりぼっちで生きて死ぬとい座頭市の覚悟がそこに垣間見える。そのはじまりを描くことで終わりを想像させる、そういう描き方をするべきだったような気がする。

《追記》
 最初の作品『座頭市物語』のラストは二つ作られたという話を聞いたことがある。ひとつは座頭市の死によって終わるもの。もうひとつは仕込杖を捨てて旅を続けるもの。映画会社社長の、鶴の一声で市は生き延び、それからも旅を続けた。
 仮に『座頭市 The Last』を認めたとしよう。できてしまったものは仕方がない(笑)。あれは別の世界のお話だというこで自分を納得させよう。ほんとうにいつか、誰か、座頭市というキャラクターを心底愛していて、なおかつ優れた監督と俳優が、作品をよみがえらせてくれることを祈ることにする。
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カテゴリ: 映画

テーマ: ひとりごとのようなもの - ジャンル: 日記

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Posted on 2010/06/02 Wed. 22:06    TB: 0    CM: 0

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