Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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似ているものあれこれ 

 この前のブログで『絶対零度』はアメリカの刑事ドラマ『コールドケース』に似ていると書いた。もちちろん、撤回するつもりはない。ここまで露骨に似ていると、見るたびに気恥ずかしくなってくる。それに、何となく釈然としない。ここまでまねる必要があったのかと思えてくるのだ。しかし、この作品に限らず、
「これ似てるなあ……」
 と、思うドラマは他にもかなりある。といって日本ばかりが向こうのものを真似ているわけではない。やや妄想気味にいうと、昔、CIAは日本の小説や漫画、映画にドラマの情報を集めていて、それをエージェントを通して作家や映画監督などに渡しているのではないかと思ったことがあった。
 たとえば平井和正氏の作品に『ゾンビーハンター(漫画原作時はデスハンター)』という作品があった。主人公は右腕と右目(左目だったかな)が義手と義眼である。並みの義手・義眼ではない。怪力を発する義手と特殊カメラのような義眼である。ようするにこの主人公はサイボークなのである。
 義手と義眼、ここに義足をつけ足せばあのアメリカSFドラマ『百万ドルの男』である。女性版なら『バイオニック・ジェミー』だ。義手と義眼によって主人公をスーパーマン化するというネタの元は、ぼくの知る限り平井和正氏が最初だったはずだ。
 さらに平井和正氏の、ある世代にとっては涙ものの名作『ウルフガイシリーズ』のパクリ、じゃなくて流用かな、と思わせる小説もある。ロバート・R・マキャモンの『狼の時』という作品の主人公が、なんだかウルフガイである。というか文字通りの狼男だからウルフガイそのものだ。
 我らが犬神明は狼男でトップ屋だったが、『狼の時』の主人公は英国情報部員である。設定はもちろん違うが、伝説の狼男を、現代風にアレンジするというのは、平井和正のアイデアの流用という感じがしないでもない。
 さらに、古い話で恐縮だが、時代劇ファンならおなじみの主人公『丹下左膳』、あの左膳にはモデルがあるという話を聞いたことがある。正確にはネットで読んだことがある。原作者の林不忘がアメリカ滞在中に読んだウエスタン小説に、隻眼隻手のガンマンが登場する作品があったのではないかというのである。真偽のほどはわからない。
 マカロニウエスタンで、片腕のガンマンが登場する作品を観たことがあるが、案外、ウエスタン小説にはそういった個性をもったガンマンが登場する物語が、いくつかあるのかもしれない。
 突然話は飛んで、思い出すのは『サイボーグ009』である。主人公島村ジョー(009の本名です)の加速装置のスイッチは奥歯に仕込まれていた。物を食べていると、突然加速スイッチが入ってしまいそうで恐ろしいが、このアイデアの元は『虎よ! 虎よ!』である。主人公のガリバー・フォイルの加速装置のスイッチも奥歯にあった。
 奥歯にスイッチがあるかどうかは別にして、それ以前の作品に加速装置というアイデアがあったのかどうかよく知らないが、知る限り『虎よ! 虎よ!』が最初だったと思う。後に多くの作品に流用された黄金のアイデアである。先の『サイボーグ009』もそうだし、平井和正氏の『8マン(後のサイボーグブルース)』もこのアイデアを使っている。
 誰かの作品のアイデアを流用した作品というのはけっこうある。まことに極端ないい方をすれば、この世のなかにあるもので、使ってはいけないものなどないと思う。しかし、使っていいのはあくまでもアイデアであって、作品そのものを使ってしまってはお話にならない。
 アイデアはいってみれば素材のようなものだと思う。問題は料理の仕方だ。同じ素材を使っても料理の仕方によって味も変われば見た目も変わる。同じ素材を使って同じ味の料理を作れば、オリジナルのほうが味がいいに決まっている。他人のアイデアを使っても、作り手から露骨な下心さえ感じなければ、たぶん非難されることはないと思うのだが……。
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カテゴリ: 日記

テーマ: ひとりごとのようなもの - ジャンル: 日記

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Posted on 2010/04/26 Mon. 19:14    TB: 0    CM: 0

いたましいほどに酷い――絶対零度 

 ブログは思い出話がほとんどで、ただいますぐの話題というのはめったにしないことにしている。別に過去を懐かしむ年齢だからというわけではない……つもりだ。とにかく、今すぐのことは、あまり書く気になれない。少し時間をおいた方が客観的になれる気がする。
 ほんとうなら今日は石垣について書こうと思っていた。石垣島ではなく、積み上げてあるあの石垣だ。が、やめた。いたましいほどに酷い新番組をいま見ているからだ。『絶対零度』というこの新番組は『コールドケース』の絶望的な日本版である。
『コールドケース』というアメリカの刑事ドラマは、けっこう有名だと思うので、あるいは見た方も多いと思う。アメリカには第一級殺人の場合時効がない。ときには何十年も前におきた事件の捜査を行い、犯人が判明すれば起訴もする。それをドラマ化した作品だ。
 このアメリカの刑事ドラマは事件が起きたころに流行った音楽を使い、過去と現在を描いていく。ラストでは、過去と現在の被害者と加害者が登場する。作品によっては結構泣けるものもある。捜査するのは過去の事件でも、ドラマが扱うテーマは、同性愛、人種差別、家庭内暴力等々、ようするにいまに通じるテーマだ。
 さらにいえば主人公である女性刑事リリー・ラッシュはとても魅力的だ。演じるキャスリン・モリスという女優さんはモデル出身で、一時期モデルの仕事で名古屋にもいたことがあるらしい。日本語吹替え版では田中敦子さんが声を担当している。素晴らしい声である。『甲殻機動隊』の草薙素子さんだ。
 上戸彩さんがだめな女優だとは思わないが、『コールドケース』をここまで真似てしまうとリリー・ラッシュのイメージに挑戦することになってしまう。少なくともぼくはそういう目で見てしまう。申し訳ないが上戸さんには分が悪い。リリー・ラッシュはプロフェッショナルだが、上戸さんはアマチュアにしか見えない。
『絶対零度』は、はじまり方から終わり方まで『コールドケース』に似ている。ディズニーが『ジャングル大帝』をぱくったどころの話ではない。ディズニーは白いライオンを登場させないだけの良識を持っていた。『絶対零度』はここまで真似て、権利問題に引っかからないのだろうか。あるいは作り手は気恥ずかしくならないのか。実に興味がある。
 どうしてこんなドラマを作ってしまったのだろう。日本版『コールドケース』をつくるということでアメリカ側とは話がついているのだろうか。ここまであからさまに真似て、しかも物語が《ヘタレ》だと、ほんとうに酷い。いたましいほどに酷い。
 主題歌を《ラブサイケデリコ》が歌っていることが、せめてもの救い、ではないがとにかく喜ばしいことである。

カテゴリ: テレビドラマ

テーマ: テレビドラマ - ジャンル: テレビ・ラジオ

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Posted on 2010/04/13 Tue. 22:44    TB: 0    CM: 2

見事な『切腹』 

 四月になったが、この前のブログの続きである。『スラムドックミリオネア』のことではなく、その中でちらりと触れた『切腹』である。イギリス映画を見ながら、日本の時代劇を思い出すのは我ながら奇異なことだと思うが、まあそういうこともあるだろう(笑)。
『切腹』という映画をいったいどれだけの人が知っているのだろう。1962年の小林正樹監督作品である。主演は仲代達也さんだった。内容は一口でいうと武士道なんて幻想だよ、はやく目を覚ましなさい、というお話である。
 武士道が幻想かどうか、ぼくなどには判断のしようがない。話がちょっと横道にそれるが、侍像というのは時代とともに変化しているもので、これこそ侍だ、といいきれるものは実はない、とぼくは解釈している。
 露骨ないい方をすれば、侍というのは武装農民集団の親玉みたいなものである。本来は極めつけのリアリストだった。たとえば戦国時代、主君と家臣の関係は実務的なものだった。この主のもとにいれば自身の利益になると思えばこそ懸命に働く。だが、こいつはだめだとなれば、見限ることもありだった。
 黒澤映画ではないが、
「裏切り御免!」
 である。
 武士は二君にまみえず。そういった主君に忠誠を尽くす侍像が求められるようになったのは江戸時代に入ってからのことだ。ようするに幕府が支配しやすいように、荒っぽくてリアリストだった侍たちを教育した結果のことだった。
 たぶん幕府の思惑は成功したのだろう。いつのまにか後世のぼくたちまで、侍というのは形而上的に生きて死ぬというようなイメージを持つにいたった。いつかもこのブログで書いたが、『鸚鵡籠中記』を読めば、われわれのイメージにある侍と現実の侍はずいぶんちがうということがわかる。
 有名な忠臣蔵だが、あれが戦国時代なら、あの殿様はまちがいなく見捨てられていただろうということだ。家臣の暮らしも顧みず一時の怒りに我を忘れるような主君のもとでは、とても働けないと戦国時代の侍なら考えたことだろう。

 話を『切腹』に戻す。とにかく残酷な話である。江戸時代だ。生活苦にあえぐ浪人がとある屋敷の前で切腹をさせてくれという。本気で切腹する気などない。嫌がらせをして何某かの金をせびろうという魂胆なのだ。
 浪人の魂胆を見越した屋敷側は実に残酷なことをする。ほんとうに切腹をさせようとするのだ。浪人は焦りはじめる。しかし逃げることもできない。屋敷側は腕利きの侍三人を揃え、浪人の退路を断つ。
 ここから凄まじくなってくる。浪人はほんとうに切腹するしかなくなる。だが、浪人の刀は竹光だった。生活に追われ、刀はとっくの昔に手放していた。屋敷側はその竹光で浪人に切腹させようとする。この場面は凄まじい。切れない竹光で切腹するのである。長く残酷場面だ。切腹というが、それは殺人である。浪人は無残な殺され方をする。
 余談だが、『必殺仕事人』のなかでこの場面を使ったことがあった。伊吹五郎さんがでていたシリーズで、まだ若い秀さんが、竹光腹を切らされる侍の仇を討とうとするような話だったと記憶している。
『切腹』に話を戻す。その浪人者が殺された後、初老の浪人が訪ねてきて、また切腹をさせてくれという。屋敷側は同じことをしようとうする。屋敷内に招かれた浪人は介錯人に腕利きの三人を指名する。このあたりから、
「ん?」
 と、いう感じになってくる。どうして浪人はその三人を指名したのか。偶然かそれとも何か理由があるのか。三人を呼び出そうとするが、三人とも急病で不在であるとわかり、さらに、
「え?」
 という感じなってくる。
 切腹させてくれといってきた浪人は薄笑いを浮かべている。何かが起きているらしいということはわかる。いったいなにが起きているのかと興味を引きつつ、浪人は自分について語りはじめる。……と、まあこんな感じである。

 感心したのは、この作品が扱っているテーマにではなかった。シナリオの見事さに感動した。映画『切腹』で扱われているテーマはもちろん重く、語るべき価値は十分にあると思う。全面的に賛成しろといっているのではない。色々なことを考えられるテーマであるといっているのだ。
 しかしとにかく、ぼくにとってこの映画は語りがあまりにも見事だったというその一点につきる。最初の竹光による切腹がすでに衝撃的だった。そこから二人目の切腹志願者があらわれ、最初に無残に殺された侍とは無関係かと思いつつ眺めていると――
「あ!」
 と、いうことになる。
 物語の進め方がべらぼうにうまいのである。見事な力技というほかない。シナリオは橋本忍さんだった。さすがである。はじめてこの映画を見たとき、暗くて重い映画だなあと思いつつ、最後まで見せられてしまった。ラストも決して爽快感を与えてくれない。当たり前か。しかし、溜息が零れるほど見事な構成なのだ。
 はっきりいえば、この手の映画は好みではない。『武士道残酷物語』だとかやたらと侍をけなす映画があった。あれは侍をけなすというよりも階級社会の矛盾を描こうとする意図があったように思えてならないときがある。
 誰かが誰かを足蹴にしたり、支配したり、搾取したりする時代がいい時代とは思えないが、だからといって自分の好みで時代に色をつけるのはどうかと思う。それぞれの時代にそれぞれの苦悩もあれば楽しみもあったと考えるのが普通だ。こんなことをいうとお叱りを受けるかもしれないが、世の中のことはすべて相対的なものだと思っている。
 ぼくがなにを考えているかはどうでもいい。暗くて残酷な映画は好きではない。『切腹』は間違いなく、暗くて残酷で、血みどろの映画だった。しかし、最後まで見せられたのはようするに見せ方がうまかったからだ。志も必要だが、技術もおろそかにできない。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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Posted on 2010/04/07 Wed. 13:03    TB: 0    CM: 0

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