Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

02« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»04
 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カテゴリ: スポンサー広告

[edit]

Posted on --/--/-- --. --:--    TB: --    CM: --

スラム育ちのヒーロー 

『スラムドックミリオネア』という作品をご覧になった方も多いと思う。だから、いまさらストーリーについて語っても、ネタバレのお叱りを受けることはないと思うが、もしまだこの作品を観ておらず、さあこれから観てやるぞと思っている方で、なおかつこのブログを偶然目にしてしまったという奇跡的な方のために、一応お断りしおきます。
 これから書く文章のなかには、物語の結末に関係する部分も出てきますので、まだこの傑作を見ておらず、これから見ようと思っている方は、この先は読まないようにしてください。
---------------------------------------------------------------------

 あまりに軽やかに語られるために、悲惨で陰惨な物語なのに、むしろ爽快な感じさえ受ける。詰め込まれた悲劇のわりに印象が暗くないのは、ひとえにこの映画の持つテンポの良さだろう。全体にリズミカルで、この物語が持っている本来の悲劇性が薄められている。悲しんでいる暇がないというわけだ。
 もちろんハッピーエンドでもあるのだが、それにしても彼女の頬につけられた傷が、この物語の本質ともいえる残酷な現実を視覚的に訴えかけてくる。彼女を探し続けた彼と抱きあってキスをする。そのラストに辿り着くまでの、ふたりの過酷な旅路が、目で見てわかるという仕掛けだ。本当に映画は目で見るものだと納得させられる。
『スラムドックミリオネア』という映画は実にうまくできていた。アカデミー賞を8部門受賞して話題になったとき、見ようかなと思いつつ、結局、機会がないまま今日に至った。見る前は期待が半分、不安が半分といったところだった。
 映画に限ったことではないが、すぐれた芸術作品が必ずしも自分の好みにあうというわけではない。非常に優れた作品ではあるが、眺めていると気が重くなるという作品もある。そんなわけで、新しい作品を観ようというときは、わりと臆病になるのである(笑)。ついつい、なれたものに手を出してしまう。
 どこかからかお金を頂いて作品を観る立場では全然ないので、肌に合わないものはどれだけ名作だといわれてもみる必要は少しもない(笑)。そんなわけで今回もずいぶん迷ったが、結局みることにした。感想はもちろん、
「観てよかった」
 アカデミー賞とかナントカ賞というのは基本、あまりあてにしていない。世に数多ある賞の類がだめだといっているのではない。いくら優れた作品だといわれても、こちらも感性で受け止める以上、だめなものはどうしてもだめだというだけのことだ。
 だから逆の場合ももちろんある。B級、C級のレッテルを貼られた作品でもいいものいいということになる。この場合のいいというのは、客観的な判断ではもちろんない。こちらの感覚にぴったりとはまるかどうかの問題である。好みに合うかどうかが重要で、あわなければ仕方がないだけのことだ。
 とにかくぼくにとって『スラムドックミリオネア』という作品は見事な作品だった。スラム育ちで教育を受けていない青年が、クイズ番組に出演する。出題される難問を次々に突破して勝ち上がっていく。メインのプロットがすでにひとつのミステリーを構成している。
 彼はなぜ出題される問題の答えを知っているのか。その理由が明かされていく過程で、彼の歩んできた悲惨な人生が明かされる。一瞬、昔観た『切腹』を思い出したりした。彼の人生を描くことで、インドの抱える様々な問題や矛盾を描いている。
『パリ、テキサス』という映画をみたとき、こんなやり方があったのかと思わず膝を叩いた記憶がある。『スラムドックミリオネア』も同じだ。波乱万丈の物語を語るために必要な道具立ては、なにもタフなヒーローや、超人的な、あるいは超人そのものの主人公である必要はないのだとわかる。
 スラム育ちで教育もなく、タフガイでなくても、素晴らしい主人公たりえるのだということをこの作品は教えてくれる。物語はどこにでもあるといった作家がいたが、その通りなのだあらためて納得した。
スポンサーサイト

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

[edit]

Posted on 2010/03/25 Thu. 17:53    TB: 0    CM: 0

陰画としての『龍馬傳』 

『龍馬暗殺』という映画をいまどき何人の人が知っているのかわからないが、ある年代の人にとっては忘れられない一本ということになるのだと思う。ぼくはある年代の人という範疇には入らないと思う。たぶん入らないと思うが、それでもこの映画は好きだ。1974年のATGの映画である。
「ATG……」
 と、これを書いているとき、思わず呟きがもれた。
 この名前をきいて胸が熱くなる人は、数少ないこのブログの閲覧者のなかに何人いてくれるのだろう。とりあえずぼくは胸を熱くすることにしよう。ATGを知らない人は、ネットなどで調べてみてください。決して損はしません(笑)。あの竹下景子さんの衝撃的な映画デビュー作は『祭りの準備』。ATG映画だ。ご存知の方も多いと思う。
 他にも『星空のマリオネット』『絞首刑』『賛歌』『青春の殺人者』『逆噴射家族』、『人間蒸発』『竹山一人旅』『津軽じょんがら節』『股旅』『原子力戦争』『儀式』『肉弾』『地の群れ』『転校生』等々。
 これらはATGが製作した映画である。『龍馬暗殺』もそういったなかの一本だ。すべてが名作だ、なとど乱暴なことはいわない。しかし、一見の価値はある映画だと思う。まだ見たことのない人、機会があればぜひ見てください。こちらのほうも決して損はしません(笑)。
 ATG映画への熱い思いはさておき、坂本龍馬である。たしかなことは『龍馬暗殺』に登場する原田芳雄演じる龍馬と、現在放送中の大河ドラマの福山龍馬とはずいぶんちがうということだ。
 坂本龍馬を思うとき《永遠の青年》をイメージするひとは、案外多いような気がする。それはそれで悪くないと思う。もしかすると坂本龍馬という人は実際にそんな人だったのかもしれない。
 しかし『龍馬暗殺』で描かれた龍馬は永遠の青年ではない。人とは少し変わった考え方をする普通の男である。この作品で描かれた龍馬が真実の龍馬であるとは思わない。だが、もしかすると福山君の龍馬よりもリアリティを感じさせてくれるかもしれない。
 この映画の竜馬は、青年というには老けている。何せ人生五十年という時代の三十三歳だ。老けていても不思議ではない。大政奉還も船中八策も、そして薩長連合も、ほんとにやったのかいなというような人物である。暗殺者の手から逃れるために土蔵に隠れ、女と遊び、酔っぱらって刀を振り回すような人物なのだ。
 その合間をぬって、政治的課題について語っているようにも見えてくるから面白い。そもそも中岡慎太郎が組織内の路線対立から龍馬暗殺を企てている(ようするに内ゲバだ)。しかし、入り組んだ諸事情から一緒に隠れる羽目になるという設定だった。人間臭いといえばまことに人間臭い。
 1974年の映画である。時代を十分意識して作られた映画だけに、今見ていると、
「?」
 と、思うようなセリフが随所にちりばめられている。1974年がどんな時代だったのか興味のある方は、こちらも調べてみてください。とにかく、いかにも70年代らしい雰囲気のある映画である。当時の政治状況を反映しているのだ。
「権力を奪った後の権力」
 など時代劇であることを忘れてしまったようなセリフがある。もちろん意図的にやっているのだろう。違和感はあまりない。それどころか、粗いモノクロの画面に、時代劇であること忘れたような台詞は不思議とあう。
 いまこの映画を見るとけっこう新鮮に感じるかもしれない。あるいは前衛的な演劇をイメージするかもしれない。黒木和雄が描こうとしたのは、(当時の)いまを生きている若者たちの姿だったのかもしれない。当時政治的活動をしていた若者のなかには、こんなタイプがけっこういたのかもしれない。
 いまこの映画を見て、古いと感じるか、それとも新鮮だと感じるかは人それぞれだと思うが、たしかなことは古くても新しくても、名作であるということだ。付け加ええると、あの松田勇作が非常に重要な役どころで出ている。

カテゴリ: 映画

テーマ: 日々のつれづれ - ジャンル: 日記

[edit]

Posted on 2010/03/19 Fri. 05:07    TB: 0    CM: 2

長い米 

 結局、なんだかんだで一月以上、ブログを放置していたことになる。身辺雑多でここに来る時間がなかっただけのことだ。これでも一応大人なので仕事もあれば、年相応の雑事というやつがあったりもする(笑)。深刻なことがなにひとつないのは《おかげさま》だ。
 さて、そのこととはまったく別の話だ。恐ろしいほど曖昧な記憶を頼りに書くのだが、ずっと昔、テレビで外国映画の放送があった。それは『日曜洋画劇場』のずっと前のことだった。この映画劇場の特徴は一週間くらい同じ映画を流すというスタイルだったと思う。つまり毎日同じ映画を繰り返し見ることになる。
 いまではちょっと考えられないような放送スタイルだが、確かにそういう番組があったように記憶している。まちがいだったらごめんなさいだが、このブログが別にどこかから原稿料をもらって書いているわけではないので、曖昧だろうが、いい加減だろうが、時と場合によっては捏造だろうが、このさい何でもありである(笑)。
 とにかく、そういった映画劇場があったという前提で話を続ける。『にがい米』というイタリア映画をそこで見た。ストーリーは田植えの出稼ぎにきた女性たちの話で、出稼ぎ先で色々なことがあって……というような内容だった。
 主演はシルヴァーナ・マンガーノ。グラマー(もはや死語だが)なセクシー女優である。この人はのちに、ルキノ・ヴィスコンティの映画などにも出演しているから、ただのセクシー女優ではなかったのだろう。
 とにかく、最初にみたのはほんとうに小さなころで、主演女優の色っぽさよりも、アジア以外の国にも田植えという習慣があることに驚いていた記憶がある。あやふやな記憶を頼りに書いているが、映画のなかに飯盒で炊いたご飯を、犯罪者である恋人に食べさせる場面があったように記憶している。
「なんだ、焦げた飯か」
 みたいなことを男はいったと記憶しているが、これはもうかなりあやふやだ。たぶんレンタルDVDも出ているのだろうと思うが、借りる気はいまのところない。見る価値は十分ある映画だと思うが、こういう映画に付き合うのはそれなりの気分というものがある。いまはその気分ではない。
したいのは映画の話ではない。米の話だ。『にがい米』ではなく《長い米》である。あの長粒米、インディカ米の話である。かなり前になるが、この日本にコメ不足の時期があり、長粒米を輸入したことがあった。タイ米である。覚えている方もいると思う。ずいぶんひどいことを皆がいっていた。もったいない話である。
 厳密にいえばインディカ米とタイ米はちがうものらしい。いずれにしても日本人には馴染みのない細長いぱさぱさしたお米だ。我々に馴染みのジャポニカ種のように調理するとうまくいかない場合もあるわけで、これが評判の悪い理由だと思われる。
 知っている方も多いと思うが、細長いお米はスパゲティと同じ方法で炊く、というか煮るのがうまく食べるコツだ。実はこれが大好きである。もともと粘り気のあるお米というのがあまり好きではない。どちらかといえばぱさついた米が好きなのである。
 その昔、ありがたい御経を求めてインドに渡ったとき――というのは嘘で、カレーを食べにインドに行ったとき、この米を食べて病みつきになった。何にでもあうというものではないが、よくいわれる通りピラフ(炒飯も含む)とかリゾットとか、そういったものにはよくあう。
 ぼくがよくやったのはキムチ納豆ご飯だ。匂いの強いものとはよくあった。というか、ご飯の上に何かかけて食べるのに適していたと思う。最近は食べていないが、いまでもときどき、というかしょっちゅう食べたくなる。

カテゴリ: 食べる

テーマ: 日々のつれづれ - ジャンル: 日記

[edit]

Posted on 2010/03/17 Wed. 22:43    TB: 0    CM: 0

プロフィール

最近の記事

月別アーカイブ

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

FC2カウンター

メールフォーム

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。