Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

09« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»11
 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カテゴリ: スポンサー広告

[edit]

Posted on --/--/-- --. --:--    TB: --    CM: --

# お詫びと訂正 # 

 申し訳ありませんでした。先の記事「おじさんの好きな冬の歌」で、

 ~木枯しは寒く~

 で始まる曲を『さよならをするために』と書きましたが、曲は『冬物語』です。
『さよならをするために』は、

 ~すぎた日の微笑みを~

 のほうでした。
 
スポンサーサイト

カテゴリ: 未分類

[edit]

Posted on 2009/10/31 Sat. 00:00    TB: 0    CM: 0

おじさんの好きな冬の歌 

『冬が来る前に』というタイトルの曲が昔あった。歌詞もメロディも覚えているが、好きでも嫌いでもない。もうすぐ冬である。そんなわけで冬に関係した歌をあれこれ思い浮かべている。
『白い冬』という曲は好きである。この曲を太田裕美さんで聞いたことがある。ラジオの公開番組だったと思う。太田裕美さんというのはもちろん、『木綿のハンカチーフ』の、あの太田裕美さんだ。余談だが、彼女の曲では『幸せ未満』という曲が好きである。
 で、太田裕美さんが歌った『白い冬』だが、これがかなり良かった。彼女自身のピアノとアコースティックギターの演奏だったが、このギターがかなり良いのである。あれはいったい誰が弾いていたのだろう。
 さらに冬の歌について続ける。野口五郎さんの『針葉樹』という曲も好きだ。彼の曲の中ではあまりヒットしなかった印象があるがこれはかなり好きだ。誰もが知っている『なごり雪』は、さほど好きではない。もちろん嫌いということではない。
 後、中島みゆきさんに『冬を待つ季節』という、聞いていると厭世観にからめとられそうになる曲がある。聞いていると、ひたすら気分が重くなってくる、なんとも言いようのない曲である。もちろん、有名な曲だから知っている人の方がはるかに多いのだろう(笑)。
 タイトルに《冬》はついていないが、冬を歌った曲もたくさんある。いまでも口ずさむ曲は、ビリーバンバンの『さよならをするために」という曲である。テレビドラマ――たしか『三丁目四番地』だったと思うが――の主題歌である。これもヒットした曲だから、ある年齢以上の人は知っている人も多いと思う。石坂浩二さんの作詞である。
 この曲のどこに冬があるかといえば歌詞の中に、
「木枯しは寒く、乗換駅に~」
 と、いうくだりがある。木枯しが吹くのは大抵冬だろう。だからこれも冬の歌のカテゴリーに入れた。それをいうならオフコースの『さよなら』もそうだが、こちらはあまり好きではない。理由はまた後日……。
 この『さよならをするために』は、色々な人がカバーしている。松山千春さんもカバーしていたはずである。この曲のいったいどこが好きなのか、長い間あれこれ考えているが、どうもよくわからない。まあ芸術作品だから理屈で自分を納得させる必要もないのだろうが。
 演歌系にも好きな《冬系》の歌がある。『津軽海峡冬景色』は名曲だが、実はそれほど好きでなない。『石狩挽歌』――これである。北原ミレイさんが歌ったこの曲を最初に聞いたとき、衝撃を感じた。その衝撃は今も続いている。ぼく的にいえば、これは名曲を超えて、衝撃曲である。
 どうして『石狩挽歌』が好きか。これははっきりとしている。歌詞がとにかく好きである。次に歌手だ。北原ミレイという人の声は、『ざんげの値打もない』を聞いた瞬間から好きになっていた。とにかく最高の声の持ち主である。
 中森明菜さんが歌っているのを聞いたことがあるが、これはこれでよかった。が、やはり北原ミレイの、あの土着的な迫力には及ばない。しかし、まったく別物だと思えば、中森明菜バージョンも、これはこれで悪くない。
《猫》というグループの『雪』も好きである。吉田拓郎の曲だが、初めて聞いたとき「おや?」という感じで、その印象が今も残っている。その《猫》に『各駅停車』という曲がある。これがいい。物凄くいい。
 ♪~ぼくの笑いが凍りつくのは、降り出した雪のせいじゃない~♪
 ここにも冬がちゃんとある。

カテゴリ: 音楽

テーマ: 音楽 - ジャンル: 音楽

[edit]

Posted on 2009/10/30 Fri. 20:37    TB: 0    CM: 2

仁――赤ひげの名残 

 唐突だが『Jin-仁』というドラマを見ていて『赤ひげ』を思い出した。といって黒澤明の重厚な物語とテレビドラマを一緒に論じるつもりはない。どちらが上か下かということでもない。
 所属するリーグが違う。同じ野球でもメジャーと日本のプロ野球がちがうのと同じことだ。しかし、しつこくいうがどちらが上か下かということでは決してない。それぞれの面白さがある。
『Jin-仁』の時代考証がどこまで正確なのか、素人にはわからない。が、印象だけをいえば、ある種のリアリティを感じる。第一回の放送を見て、山盛りのご飯が登場したとき、いかにもありそうな感じだと思った。あの場面を見て、何となく続きを見てみようという気持ちになった。
 これも黒澤作品だが『蜘蛛の巣城』で戦国武将たちが先勝祝いをする場面が出てくる。宴席の食事が山盛りのご飯だった。他には焼いた川魚と汁物。その程度のものだった。当時の食糧事情ではそれでも十分御馳走だったのだろう。
 戦国時代に比べれば江戸時代の食糧事情がずいぶん良くなっていたのだろうが、それでもご飯を大量に食べていたというのは、どこかで読んだことがある。いまとはまるで違う食事の風景だったのだ。

 時代考証ということでいえば、黒澤明の『赤ひげ』も、必ずしも時代考証的に正確だったわけではないらしい。それは黒澤明自身が語っている。映画の小石川療養所には入院施設があったように描かれていたが、実際はなかったと黒澤明が何かのインタビューで話していた記憶がある。
 しかし、その一方で映画の中で使われた食事は記録にあるものを再現したらしい。米と麦の配合なども実際にあったとおりにして炊いたところ、これが非常に美味しくて、スタッフが喜んで食べたということも話していた記憶がある。黒澤明という人はそのあたりのコツがわかっていた。やはり天才だったのだ。

 さて『仁』だが、どこまで江戸時代を正確に再現しているのかわからない。だが見てきた人がいない過去のある時間を描くとき、時代を正確に再現しているかどうかはもちろん大切なのだろうが、実際にそうであったような印象を与えてくれることも重要だと思う。
 以前『戦国自衛隊』という映画があった。自衛隊が戦国時代にタイムスリップして当時の鎧武者と戦闘を繰り広げるという物語だ。今回の『仁』も同じ構造である。『クレヨンしんちゃん』の話題になったあの映画と、つまり同じことだ。
 その『戦国自衛隊』だが、最初の映画化の時に誰かが、この種の映画が成功するかどうかのカギは、自衛隊が本当に戦国時代に行っているように見えるかどうかだと書いていた。残念ながら『戦国自衛隊』は、戦国武者が現代に現れたようだった。『仁』というドラマが成功するかどうかも、その一点にかかっているように思う。
『Jin-仁』の舞台は幕末だから当然のように坂本竜馬も登場するが(笑)、実際の彼がどんな人物であったかはよく分からない。龍馬は明治のある時点までは有名ではなかった。龍馬が魅力的な人物であるというのは、実はフィクションに属する世界の話なのだと思っている。
 別に龍馬に限ったことではない。現実の幕末に生きた人々は、有名無名を問わず、たぶん普通の人々だ。彼らが魅力的かどうかは、彼らの登場する世界がどこまで現実味を持てるのかにかかっている。フィクションは現実の材料を使って組み立ててこそ面白くなる。
 何となく引っかかるのは言葉づかいである。「可能性」という言葉が劇中出てくるが、はたして江戸時代にその言葉があっただろうか。あるいは「美人」という言葉も出てきた。美人という言葉はあったのだろうが、今のような感じで使っていたのかどうか。江戸時代なら「べっぴん」とでも言ってくれた方が感じが出るような気がする。
 もちろん、何から何まで正確に江戸時代を再現すれば、お話として成立しなくなるだろう。それはあの池波正太郎さんもどこかに書いていた。実をいうと『仁』の原作はまだ読んでいない。いつか原作を読んでみようと思う。ドラマを見ていて、そんな気にさせられた。

カテゴリ: テレビドラマ

テーマ: ドラマ感想 - ジャンル: テレビ・ラジオ

[edit]

Posted on 2009/10/25 Sun. 18:26    TB: 0    CM: 2

プロフィール

最近の記事

月別アーカイブ

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

FC2カウンター

メールフォーム

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。