Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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弾くか叩くか――津軽の響き 2 

 津軽三味線は太棹というのが、まあ一般的なところだろうか。しかし、その源流であるボサマと呼ばれた門づけ芸人たちは、そんな立派な三味線は持っていなかった。太棹のような重い三味線を持っては歩けない。これも高橋竹山の自伝『竹山ひとり旅』で知ったことだった。
 と、いうわけで前回からの続き、今回も津軽三味線である。門づけ芸人をしていた過去がなくても高橋竹山は天才だったと前に書いた。この考えにぶれはない。しかし、辛酸を舐めつくした人生は、高橋竹山の生み出す音に凄みを加えていたとは思う。才能プラス経験が、高橋竹山を巨大にしたのだろう。

 ずっと以前のことだが、「11PM」という深夜番組があった。これをリアルタイムでみたという人は大体年齢がわかる(笑)。ちなみにぼくはリアルタイムでみたくちである。これは大人向けの番組だった。
 メインはお色気だったが、ときどき硬派な企画も交えたりして、不思議な深夜番組だった。硬派企画のなかに三味線音楽についての企画もあった。津軽三味線だけを取り上げたものではなく三味線音楽全般を扱ったものだった。
 特に記憶に残っているのは、中年女性の曲芸のような三味線奏法だ。まるでロックギタリストのように背中に回して弾いたり、肩に乗せて弾いたりと、変幻自在だった。彼女はおそらく、五十代の後半くらいだったと思う。あるいはもう少し上だったのかもしれない。世の中にはとんでもないおばさんがいるものだと子供心に感動したのを覚えている。
 そのおばさんが特に感動的だったのは、格好がまるで普通だったことだ。彼女はお座敷で三味線を弾いていたが、普通の服を着ていた。それが専門というよりも、普段は別の仕事をしていて、特別な余興のときだけ弾いている、とそんな感じだった。普通の格好と見事な芸、その差が強い印象を残したのだろう。
 この番組には、高橋竹山と白川軍八郎が出ていた。いまさらいうのも気が引けるし、それに乱暴な分類のような気もするが、津軽三味線の奏法は《叩く》か《弾く》のどちらかだ。この二人は、三味線は《叩くもの》派と《弾くもの》派の代表のようなものである。
 番組の中で白川軍八郎はドラムと競演をしていた。その白川軍八郎は、
「三味線は叩くものです」
 と、自信を持って言い切る。
 これに対して高橋竹山は、
「三味線は弾くものです」
 と、静かに答えていたのが印象に残っている。
 高橋竹山がいった三味線は《弾くもの》という発言は、誤解されているというような意見を目にしたことがある。叩くか弾くかときかれたので、素朴に弾くものだと答えたというのである。
 しかし、「11PM」の特別企画を見たかぎりでは、確信をもって、
「弾くものです」
 と、答えていたような印象がある。はっきりと「三味線は叩くもの」という意見を否定する発言をしていた記憶もある。高橋竹山には三味線の弾き方について確固たるイメージがあったことがわかる。

 個人的には叩いても弾いてもどちらでもいい。また津軽三味線の場合、叩く、弾く、というがそれほど明確に分類できるとも思えない気がする。作家の長部日出雄氏は津軽民謡を題材にした作品をいくつか書いている。
 その作品のなかで、高橋竹山は折れそうな薄い撥を使用して、華麗に歌い上げるように弾くと書いていた記憶がある。津軽の民謡に節をつけたのもこの人が最初であるとも書いていた。 
 さらに津軽三味線を題材にしたテレビ番組で長部氏が司会を務めたときの、高橋竹山の紹介は感動的だった。独奏楽器としての津軽三味線を確立した人と言いい、さらにその生涯は音色の追及にあったと紹介した。
 音色という言葉には深い感銘を受けた。早く弾ける、個性的で美しいメロディを作り出せる、リズムに狂いがない、そういった条件を満たしつつ、高橋竹山は音色を大切にした。ぼくはそう解釈した。もし、高橋竹山という人が津軽三味線を代表するような存在だったとすれば、それは他の奏者とは、どこか、何かがちがったからだろう。
 マスコミが持ち上げたからだという意地の悪い見方をぼくはしない。高橋竹山という人は時々撥の握りの部分を使って音を出していたことを覚えている。そういったこともすべて音色の追求と関係していたのだろう。そういえばこのひとは「アリラン」も津軽三味線で弾いていたはずだ。普通とはちがう感性を持っていたのだ。

 津軽三味線に関してはけっこう思い入れがある。二十歳になる少し前、津軽三味線を青森まで聞きにいったことがある。高橋竹山のお弟子さん(女性)の方に、膝詰めで三味線を聞かせてもらった。弘前では山田千里さんの三味線を聴くことができた。
 凄かった。ほんとうに凄かった。感受性が豊かな若いころにきいたということもあるのだろうが、あのころきいた津軽三味線と、いまの津軽三味線はどこかちがうような気がする。もちろん、どちらが良くてどちらが悪いというような話ではない。
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Posted on 2009/06/29 Mon. 21:18    TB: 0    CM: 0

津軽の響き 

「目明きはきたねえ」
 振り絞るようにいって、高橋竹山は撥を三味線の表側に突き立てる。場所は鍼灸学校の寮だった。なぜ怒りを爆発させたかというと、この学校の教師が美しい女子学生を妊娠させて捨てたのである。高橋竹山はこのことに怒りをぶつけていたのだ。ちなみにこの女子学生も視力障害がある。
 高橋竹山は実在の人物である。あまりにも有名すぎていまさら説明するのも気が引けるが、一応説明すると、津軽三味線の最初のブームを作った人物だ。もちろん竹山の前にも、名人と呼ばれる人は大勢いたのだろうが、ぼくがはじめて津軽三味線を聞いたのはこの人だった。
 その演奏は衝撃的だった。圧巻という言葉があるがまさにそれだ。あのころは本当に若くて、日本の音楽、わけても民謡はダサいと思っていた。だが、高橋竹山の演奏を聴いて印象が変わった。三味線というと、室内でチントンシャと小粋に奏でるもの。そんなふうに思っていた。
 ところが高橋竹山の演奏はまるでちがった。強く明確なリズムがあり、一音一音が粒が立つようにはっきりとしていた。重く叩きつけるような弾ける音と、透明感のある澄んだ音が混然一体となり、重量感と軽快感というまったく対極にあるものがひとつの演奏のなかに自然と収まっていた。
 余談だが、最近の津軽三味線は、軽快感は申し分ないのだが、重量感の面でやや物足りなさを感じることがある。もっともこれは素人の小生意気な意見で、あまり気にしていただく必要はない(笑)。
 とにかく、高橋竹山がいたからこそ、吉田兄弟も上妻宏光も木乃下真市もでてきた。と、いうのはややオーバーかもしれないが、それでもそう思えるほどに、高橋竹山という人は巨大だった。フラメンコにおけるサビーカスのような位置にある演奏者なのだと思っている。

 さて、冒頭の場面だが、新藤兼人監督作品『竹山ひとり旅』のなかの一場面である。高橋竹山は昭和19年に鍼灸師の学校に入学している。もちろん、資格を取るためである。三味線だけでは食べていけなかったのだ。戦争の影響があったこともある。
 新藤兼人はそのあたりのこともきちんと描いていた。高橋竹山の通っていた鍼灸学校で実際に、教師が生徒を妊娠させるなどということがあったのかどうか。高橋竹山の芸術の背景にある、何事かを描くためにそのような場面を設定したような気がしないでもない。
 記憶にまちがいがなければ、映画の原作である自伝『竹山ひとり旅』には、そういったエピソードは出てこない。あの場面は映画的な脚色なのだろうか。それとも自伝には書かれなかったエピソードを、新藤兼人は高橋竹山自身から聞いたのだろうか。その可能性も否定できない気がする。

 高橋竹山は生ける伝説のようなものだった。門づけの放浪芸から出発して、演奏家として頂点を極める。高橋竹山が没してすでに十年以上が過ぎている。その芸が最高潮に達したときはすでに五十をこえて六十代だった。
 その頃、1970~80年代においても、門づけの芸人をしていた過去を持つ演奏家というのは異色だった。かつて日本にそういった芸人が存在したことは知っているが、実際にそうした過去を持つ芸人が現役で、しかも素晴らしい演奏を聞かせているということは、なにか奇跡のような感じがした。
 その印象があまりにも強すぎるため、高橋竹山の芸術(あえてそう呼ぶが)は放浪によって鍛えられた、と人情として考えたくなる。しかし、実際は違う。高橋竹山自身がそういったことを否定している。門づけをして歩く芸人がうまいわけがないと言い切っている。
 まずうまくなろうとする努力をしない。競い合う相手がいない。今夜の食事とねぐらを確保するために演奏するのである。早く終わらせて金を取りたい。そんな気持ちで演奏していて、うまくなるはずがないと本人がいっている。
 こういった正直さは大好きだ。門づけ芸人のほんとうの姿が見えてくる。高橋竹山の芸を鍛えたのは放浪ではなかった。放浪していた過去とその芸術性はなんの関係もない。門づけ芸人をしていた過去はあろうがなかろうが、高橋竹山の天才性は揺るぎなかった。

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Posted on 2009/06/23 Tue. 19:32    TB: 0    CM: 2

ケビン・コスナーの『荒野の決闘』 

 ケビン・コスナー監督主演の西部劇『ワイルド・レンジ』は、正統派の西部劇だった。ストーリーは単純明快だ。牛を追ってとある町を訪れたカウボーイが、町を牛耳る悪党に仲間を殺され、仇討ちをするという、それだけの話である。くわえるなら、美しい女性と最後に結ばれるというハッピーエンドが用意されている。
 古きよき時代の西部劇を現代風に仕立て直した。そんな印象の映画である。アメリカ史に関してはそれほど詳しくないので、時代考証がどこまで正確か判断はできないが、印象だけを言えば1882年の西部の町として、リアリティを持って描かれていたように思える。
 だが登場人物には現代的な味付けがしてあったような気がする。ケビン・コスナー演じる元ガンマンのカウボーイは、戦争(この場合は南北戦争だろう)の犠牲者という設定である。このあたりはベトナム帰還兵もののイメージがある。一種のランボーだ。
 それでも、西部劇には当然登場するであろう、人物たちがここにはいる。暗い過去を引きずる元ガンマン。人生の知恵をたくさん持った老カウボーイ。お人よしの大男。孤児のカウボーイ見習い。主人公と恋に落ちる妙齢の美しい女性。その兄の篤実な医師。最後は勇敢に奮い立つ、優しい町の人々。
 ただし、酔っ払いのネイティブアメリカンも、従順な黒人も、まるで下僕のように扱われる中国人も登場しない。かつての西部劇なら当然のように登場したそういった人々が、この映画には出てこない。登場しない人々がいることが、いまの映画だ。

 この物語はようするにケビン・コスナーにとっての『荒野の決闘』なのだ。ストーリーに、多少の変化はあるものの、基本的に同じ構造を持っていた。偶然そうなったのか、狙ってそうしたのか、個人的には狙ってそうしたように思える。
 ジョン・フォードは『荒野の決闘』の主人公を、実在の人物、ワイアット・アープとした。しかし、あの映画のワイアット・アープが生の人間としてのワイアット・アープとはまるで違うことは、誰でも知っている。あの映画に登場したのは、ようするに無学だが知恵と勇気がある心優しいカウボーイだった。
 心優しいカウボーイと美しい女性の恋、そして撃ちあい。これはもう西部劇の三大テーマのようなものである。『荒野の決闘』はその西部劇の三大テーマを面白く、しかも格調高く描いていた。
 リアリティはなかったかもしれない。ジョン・フォードが描いたワイアット・アープも盟友のドク・ホリディも相当に美化され、生きている人間というよりも、人間のある生き方の象徴のようだった。あの映画の中では、悪徳さえもどこか救いのあるもののように描かれていた。苦悩は甘美なもののようだった。
 ジョン・フォードが真実を知らなかったはずがない。1894年の生まれである。ワイアット・アープはまだ生きていた。ジョン・フォードとワイアット・アープは親交があった。ワイアット・アープがなくなったのは1929年だ。
 ジョン・フォードにとって、西部劇の世界は遠い過去の物語ではなかった。つい昨日の物語だった。だが、彼は現実の西部劇の世界を描かなかった。現実の中からエッセンスを抽出し、結晶化して見せた。結晶は輝きを放つ。リアリティを捨てたからこそ、あの叙事詩のような西部劇が生まれたのだろう。

『ワイルド・レンジ』が『高野の決闘』になりきれなかったとしたら、それはようするにリアリティの問題ではないかと思う。時代考証に目を瞑ることができない時代だ。現実の西部の町を再現すれば、登場人物も自然と現実味をもってくる。
 生の人間に『荒野の決闘』は無理だ。欲望は生臭く、心の歪みは醜く描かざるを得ない。悪徳は誰の心にもある。苦悩は時に人を狂わせる。内に、ある種の狂気を抱えた人物は、絶対にジョン・フォードの描いたワイアット・アープにはなれない。
『ワイルド・レンジ』は叙事詩ではなく、隣に住む人々の物語だった。生臭い葛藤を抱えた人間たちの物語だった。いや、どちらにもなりきれていない、中途半端な感じがあった。だから、甘さが残った。
 この映画を見ながら考えたのは、いまどきの西部劇事情の難しさだった。歴史的な事実に目を瞑ることができない時代になってしまった。嘘をつくにしても、歴史的事実のパーツをそろえなければ、誰も納得してくれない気配がある。やはり西部劇は歴史劇に行くしかないのか。見終わってそんな印象を持った作品だった。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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Posted on 2009/06/20 Sat. 20:00    TB: 0    CM: 0

『部屋の片隅』に気づく才能 

 中村中に『部屋の片隅』という曲がある。湿度の高い曲で、恋人の心の中に残るかつて愛した相手の面影に、ふと気づいていしまった女性の心情が綴られている。ありふれた内容といえばありふれた内容なのだが、けっこう好きである。
 中村中という人は恋愛至上主義だ。誰かを好きになることなど、考えてみれば当たり前のことだが、これほど厄介な代物も少なくない。時には命がけの修羅場が展開したりする。取扱には細心の注意が必要だ。
 中村中は人を好きになるということが思うに任せないという究極の場所にいるようなものだ。しかし、その一方で《好いた、惚れた》が思うに任せないのは、誰にとっても同じことだ。中村中の痛すぎる思い出か、あるいは現在進行形の思いが、誰の心にもひとつやふたつはある痛い思い出に響くのだろう。

 中村中が、目指している歌謡曲というジャンルは、常にありふれている。普通なのだ。普通であることの凄さが歌謡曲の命だといってもいい。社会の変革を目指したり、主義主張を声高に叫んだり、おまえたち奮い立てと煽ったりしない。いつも当たり前のことを歌っている。
 当たり前のように恋をして、当たり前のようにふられ、当たり前のように涙にくれる。それだけのことなのだ。ただそれだけのことなのに、多少の盛衰はあってもなくなりもせずに存在し続けている。求める人がいるからに決まっている。思想や主義は時代ともに変わっても、人間には絶対に変わらない感情があるのだ。

 歌謡曲というジャンルは『部屋の片隅』に気づく才能に支えられている、といっていいのかもしれない。どこにでも転がっているありふれた感情を拾い集め、言葉を与え、メロディを与える。
 部屋の片隅にあるものを皆見ている。見えているのに見えないことというのはよくあることだ。優れた歌謡曲は、部屋の片隅に転がっている感情を拾いあげて、
「ほら」
 と、目の前にぽんと置く。
 扱う題材はありふれていても、形にするには才能と訓練がいる。どれだけ売れるかは運の要素も大きいとは思うが、とにかく売り買いできるまでのものにするのは大変なことだ。いや、商売を離れてもとにかく形にするだけでも相当な才能なのだろう。
 ヤクザと兵隊をやれば、どんな役者でもうまく見えるという。泣くこと、叫ぶこと、特別な感情を表現することは、技術の巧拙を覆い隠してしまうものなのだろう。ちなみに「やくざと兵隊」云々ということを知ったのは、山田洋二監督の著書だった。『映画を作る』だったろうか。タイトルはちょっと怪しいかもしれない。
 ヤクザと兵隊をやればどんな役者でもうまく見えるに続くのは、普通の人間を演じることは難しいということだった。泣いたり叫んだりするような特別な感情を表現するのではなく、たとえば、
「このお芋、おいしいわね」
 と、いうような普通のセリフを言うことの方が難しいのだという。
 同じことが音楽――というよりもあらゆるジャンルついていえるのかもしれない。特殊なものは瞬発力はあっても、長期的に持続する感動を与えることは難しいのかもしれない。派手さはなくてもなぜか心から離れないものというのは確かにある。人は結局、ありふれたものに安心感を覚えるのだろう。
 最近、普通のものが少なくなってきたような気がする。派手さはなくても、どっしりとして安定感のる表現とでもいうか、そういったものがあらゆるジャンルから消えつつあるようながしてならない。それも時代の流れかもしれないが、少しさびしい感じがしないでもない。
 そういう意味からも、ありふれた歌謡曲を目指している(のかどうか知らないが)中村中には頑張ってもらいたいと思う。赤面しそうなほどべたな歌謡曲を堂々と作り、堂々と歌ってもらいたいものだと思う。

カテゴリ: 中村中

テーマ: 音楽 - ジャンル: 音楽

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Posted on 2009/06/17 Wed. 09:40    TB: 0    CM: 3

再び、中村中 

 最近、中村中に触れなくなっていたが、決して飽きてしまったわけではない。一時ほどの話題性はなくなったようにも思えるが、そのことはむしろ喜んでいる。もちろん、好きなミュージシャンが多くの人々に支持されるにこしたことはないが、キワモノ的な扱いを受けるのはどうかなと思う。
 一時期ほどの話題性がなくなったからといって、中村中の個性がなくなるわけではない。これからもその個性については触れられるだろう。それも、いつかとても自然なことになっているような気がする。
 たとえば、美輪明宏さんだ。いまさら美輪さんを男性か女性か、気にする輩はいないだろう。男でも女でもない、美輪明宏という偉大な表現者がいるだけだ。中村中がひとつのジャンルになってしまえばいいと思う。

 最近、生の中村中を見ていないから何とも言えないが、テレビなどで見ていると、『汚れた下着』を歌っていたころの毒がなくなったような気がする。それが少しさびしい気もする。それともライブなどではあのころのとんがった中村中に会うことができるのだろうか。
 まあ、《毒》とか《とんがった》というのは、こちらの勝手な思い込みで、本人は周囲の変化に合わせて、ごく自然に今に至っているのだろう。いつまでもあのころばかりにしがみつくのは、どう考えても不健康だ(笑)。
 中山ラビという人に『人は少しずつ変わる』という曲がある。ほんとうにその通りだ。変化は受け入れなければならない。取り巻く状況が変われば、あるいは世の中を見る自分の目が変われば、自分自身も変わって行く。

 それにしても、この人はいい曲を書くと思う。CDやネットで動画を見ていると、素朴に才能があるんだなあと思う。それがそのままセールスにつながらないところが辛いところだが、そんな礼はいくらでもある。
 しかし、中村中の生み出す曲を聴きたいと思う人間はいるだろう。事実ここにもひとりいる。その数は多くはないかもしれないが、ミュージシャンとしての活動を支えていくには十分かもしれない。まだ若いのだし、将来大ヒットを飛ばす可能性だってある(笑)。作詞家・作曲家としての可能性も秘めている。
 音楽だけではなく、演技者としても才能があるのだろう。舞台『ガス人間第一号』のヒロインに、演出家の希望で指名されたという。もしかすると、いつかほんとうに中村中主演の『黒蜥蜴』を見ることができるかもしれない。

カテゴリ: 中村中

テーマ: 音楽 - ジャンル: 音楽

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Posted on 2009/06/14 Sun. 01:54    TB: 0    CM: 0

背中を撃つ! 

 西部劇で相手の背中を撃つ主人公が登場する最初の映画は、『片目のジャック』だと聞いたことがある。本当かどうかは知らない。その前にも、あるいはあったのかもしれないが、ぼくは知らない。監督、主演はマーロン・ブランドだ。
 この話を読んだのはずっと昔、映画関係の雑誌ではなく子供向けの新聞だったような記憶がある。マカロニウエスタンが全盛期か全盛期を過ぎようとしていたころで、アメリカの西部劇とイタリア製の西部劇比較のなかで述べられていた。
 アメリカ製の、というか本家の西部劇の主人公は背中から撃つことを嫌うが、イタリア製の西部劇の主人公は平然と背中を撃つ。そこに大きな違いがある。だから『片目のジャック』という映画の中で、主人公が敵を背中から撃つ場面が話題を呼んだ、というような内容だった。
『片目のジャック』の中で主人公が背中を撃つ場面は、ラストだったと思う。噴水を挟んだ銃撃戦で、主人公は一瞬やられたように見せかけ、相手の背後を取り、そして撃つ。これはまちがいなく、だまし討ちである。相手の背後に回り込み、躊躇いもなく撃つ主人公は、今思い返してみると、当時としては、なるほど衝撃的だったのかもしれない。
 物語の中ほどで、主人公は利き手を潰される。このハンディを、指を紐で縛ることで克服する。ポーカーをしていて、悪党仲間がかつてのように銃を使えなくなった主人公を侮るようなことをいう。怒りを爆発させた主人公が椅子を蹴って立ち上がる。
 印象に残っているのは、背中を撃つ場面よりもこちらの方だ。悪党だが根性がある。ちょっとやそっとではへこたれない。鞭で打たれ、利き手を潰されてもへこたれず、誇り高い。こういう主人公は、善悪を問わず好きである。

 最近の西部劇では背中から撃つことなど当たり前である。というか最近の西部劇は西部劇というよりも、歴史劇である。主人公もリアリティを追及するあまり、神経症的な無法者や、苦悩する若者のアウトローが登場したりする。
『ジェシー・ジェームズの暗殺』という映画はよくできた映画だと思った。この映画に西部劇を期待すると、まちがいなく期待外れに終わると思う。しかし、ある時代を生きた人間像を描いたと思ってみれば、そこそこ行けるかもしれない。
 この映画に登場するジェシー・ジェームズは、確実に心を病んでいる。平然と相手の背中を撃つ。しかもそれは銃撃戦ではなく、怯え、銃に触れることもない相手の背中だ。こういうのをリアリティというのだろう。
 こういう映画があってもいいと思う。これはこれでかなり面白い。アメリカ人になったことがないのでわからないのだが、アメリカ人にとってジェシー・ジェームズはかなりの有名人なのだろう。自国の歴史上の有名人をこういった形で映画化できるというのは、幸せなことのように思える。
 同じころの日本の有名なアウトロー、清水の次郎長をこんなふうに描いた映画というのはなかったように思う。ドラマチックというのなら黒駒の勝蔵という侠客もいる。こちらの方など、実に面白い映画になるのではないか。
 話を西部劇に戻すと、時々、昔ながらの西部劇を見たくなることがある。少し前にジョン・ウェインの片目の保安官が登場する『勇気ある追跡』を見たが、なんとなくほっとした。時々、歴史劇ではない西部劇を見たくなることがある。背中から相手を撃たない主人公が登場する西部劇だ。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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Posted on 2009/06/12 Fri. 22:26    TB: 0    CM: 0

呼吸の問題――黄昏に歌え 

 小説家なかにし礼の『黄昏に歌え』という作品は、正直どう評価していいのかわからない。内容に詳しく触れることは差し控えるが、非常に面白い部分と、ついていけない部分がある。自伝的な部分は興味深く読めるが、妙な女性が登場する場面は少しも面白くない。
 もっともこの女性との会話という形で、作詞家という人種の、言葉の閃く瞬間の心理が語られる。だからそれなりに機能しているのだろう。が、はたしてこの女性を登場させる必要はあったのだろうか。作詞家に言葉が降りてくる瞬間を、普通に描いても面白くないと思ってこういう演出をしたのか、それともこれは実体験なのだろうか。
 もし、実体験ならこの人はかなりやばい人生を送ってきたことになる。兄貴の借金どころの話ではない。得体のしれないカルト集団と関係があることになってしまう(笑)。まさかそんなこともないとは思うが、どうだろう。
 普通に自伝的な小説を書いても面白くないと思い、無理に小説にしようとしてこんな仕掛けをしたのだろうか。もしそうだとしたら、ぼくはこんなものは無用だと思う。映画『異人たちとの夏』のなかで、名取裕子さんの女幽霊を何となく邪魔だと感じるのと同じことだ。
 もちろんこれは個人的な考えだ。そうではないと思う人がいても少しもかまわない。『黄昏に歌え』の得体のしれない女性も、『異人たちとの夏』の一生懸命邪悪になろうとしている女幽霊も、必要だと思う人がいてもそれはそれでいい。ぼくはなくてもいいと思うし、むしろない方がいいような気さえする。
『黄昏に歌え』の業界裏話的な部分をぼくは面白いと思った。ひとりの人間の成功と挫折と復活を描いたものとして読んでもいい。今現在不遇のなかでもがいている人がこれを読めば、人生はそう捨てたものでもないと思えるかもしれない。「明るい日」と書く明日があるような気持ちになれるかもしれない。

 この作品の中で美空ひばりに触れている部分がある。美空ひばりに対しては、ほとんど崇拝に近い感情をもっているので、特に面白く読んだ。美空ひばりの異様なうまさについて具体的に語っている。
 なるほどと思わされたのは、美空ひばりの呼吸のうまさについて語っている部分だった。「美空ひばりの天才性」と、なかにし礼は書いている。その天才性の第一にあげているのが呼吸法の異常なうまさだ。いかに性能のいいマイクを使用しても、ひばりの息を吸う音は拾えなかったという。
 ほかにも「美空ひばりの天才性」については色々と語られているが、印象に残ったのは、この呼吸法のくだりだった。音程を外さない、リズム感がいい、感情が豊かだ、等々、ひばりの歌のうまさを語る言葉はいくらでも出てくるが、呼吸というのは盲点だった。
 楽器は多少弾けるが、歌の方は全く苦手で、カラオケにも行かない。歌がうまいというのはぼくにとってひとつの憧れである。声を出すためには息を吸わなければならない。基本的なことなのだが、その基本的な部分に天才が宿っている。感動するしかない。
 この作品の中には、どん底の日々も描かれているが、売れっ子作詞家としての絶頂の日々も描かれている。フェリーニの『甘い生活』さながらの暮らしだ。世の中がまださほどに豊でなかったころの贅沢は、格別な味があっただろう。運もあったかもしれないが、基本、自分の才能によって掴み取った『甘い生活』なら、誰に憚ることもない。
 そういった暮らしを羨ましいとは思わない。いや、少しは思うが、まあそれほどでもない。自分にもこの先、チャンスがないわけではないと思うからだ(笑)。それに健康問題がある。退廃的な暮らしは楽しいかもしれないが、健康にはよろしくない。
 ぼくも健康を気にしなければならない年齢になってしまった。『甘い生活』生活とは縁がないまま今に至り、仮にこの先幸運が訪れたとしても、酒池肉林を試す前に血圧と心臓の具合を気にしなければ行けない。
 よし、『甘い生活』は羨ましくないとしよう。だが、美空ひばりのレコーディングに立ちあい、直にその歌を聴いているというくだりは、正直羨ましいと思った。天が与えたとしか思えない唄声を間近で聞ける幸運には、そうそう巡り合えるものではないからだ。

カテゴリ: 読書

テーマ: 読書 - ジャンル: 小説・文学

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Posted on 2009/06/11 Thu. 19:33    TB: 0    CM: 0

天才について 

 IQ215という数字に信憑性があるのかどうかわからないが、トルーマン・カポーティのIQはそのくらいあったという。しかし、本人も認めていることだが、足し算と引き算がまるでできなかったらしい。後に家庭教師をつけて猛勉強をして、なんとか足し算はできるようになったらしいが、引き算はだめだった。
 人間の才能は代償を求めるものかもしれない。極端なプラスは極端なマイナスを生む。ある部分の能力が飛躍的に向上すると、ある部分の能力が落ちる。そんなものかもしれないと思ったりする。万能の天才などいない。所詮は人間ということだ。
 そもそも知能指数というものが、どれだけあてになるのかよくわからない。人間の賢さを計れる物差しなどあるのるのだろうか。ある部分では非常に賢いがある部分では極めて愚か、というのが人間なのだろう。文学も音楽も絵画も、およそ芸術はその落差から生まれるような気がする。
 しかし、カポーティが天才だったというのなら確かに天才だったのだろう。あの『冷血』を書いた作家だ。カポーティを原文で読めるほど語学力がないので、本当の意味で彼の作品を味わうことはできていないとは思う。
 しかし、もし文学の評価のひとつに、新しい方法論の発見ということがあるとすれば、『冷血』は天才的な発想から生まれた。本人も意図しなかった結果だとすれば、運も実力という昔ながらの言葉に行き着く。

『カポーティとの対話』という本がある。いってみれば「カポーティ、大いに語る」といった内容だ。ようするに長時間インタビューである。読んでいると、甲高い声で、滔々と語り続けるカポーティの姿が目に浮かぶようである(笑)。
 ここで目に浮かぶカポーティは、映画『カポーティ』のフィリップ・シーモア・ホフマンだ。有体に言ってしまうと、かなり嫌な奴だ。カポーティが天才であることは認めるにしても、ずいぶん嫌な奴だと思う。
 このインタビューは隅々にいたるまで、嫌味な空気に満ちている。さらにカポーティは偏見を持っている。ジョン・レノンに関するインタビューでヨーコ・オノについてずいぶんひどいことをいっている。
 ヨーコ・オノは付き合いにくそうな人だが、それでもあからさまに日本人の蔑称を目にすると、やはり嫌な感じがする。それは人物評とは別のことなのだと思う。嫌な奴でも言っていいことと悪いことがある。
 たとえばそれがフィクションで、そのなかの登場人物が口にするのなら、別にかまわない。偏見に満ちた人間も世の中には存在する。そういった人物を描くこともあるだろう。しかし、作家本人があからさまに偏見に満ちた言葉を口にするとなると、話は変わってくる。それともそういった自分を演出していたのだろか。
 その可能性はあるように思う。特殊である自分、あるいは天才である自分を、懸命に演出しようとしていたかもしれない。インタビューを通してそんな感じがしないでもない。オーソン・ウェルズが自分の天才性を演出しようとしていたという話を、以前どこかで読んだことがある。

 いかにもカポーティは天才だったのだろう。ぼくなどでは、絶対に見ることのできない世界を見ていたのだ。だが、あまり羨ましいとは思わない。天才とか鬼才とか呼ばれる人は、少なからず重荷を背負っているのだと思う。時々、その重荷に押しつぶされ、悲惨な人生を送るはめになったりする。
 ぼくは勘違いしている。たぶん、今でも勘違いしている(笑)。才能(天才)=成功という単純な図式で考えてしまう。この図式が正しいのなら、ゴッホは大金持ちになっていなければいけないということになる。不遇の天才という言い方がある。多くの天才は不遇なのだという気がする。
 才能は宿命に属する問題かもしれない。成功は運によるところが大きいのではないか。一見世俗的な成功を収めた天才でも、天才であり続けるために、あるいは天才と呼ばれ続けるために、支払う代償があまりにも大きすぎるように思う。カポーティは結局、酒と薬に溺れた。
 負け惜しみではなく、その他大勢がいいのだろう。新たな道を切り開くのは天才だろうが、世の中を支えているのは、その他大勢だ。それはどんなジャンルでもそうではないかと思う。天才はいなくても世の中は回って行くが、その他大勢がいなければ世の中は回って行かない。

カテゴリ: 読書

テーマ: 読んだ本。 - ジャンル: 本・雑誌

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Posted on 2009/06/05 Fri. 14:34    TB: 0    CM: 0

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