Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

09« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»11
 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カテゴリ: スポンサー広告

[edit]

Posted on --/--/-- --. --:--    TB: --    CM: --

「ぼく」か「あなた」か「わたし」か「君」か 

 昨夜『金八先生』を見ていたら、作文を書くにあたって、主語を立てろと生徒に話していた。
 しかし一般論として、日本語は主語を省略するとぐんと良くなるというのは、いってみれば常識のようなものだ。金八先生は国語の教師である。本来の国語教育よりもその他の諸々の知識のほうが圧倒的に多そうな我らが金八先生が、その程度のことを知らないとも思えない。
「話すように書く」ことがはたしていいのか悪いのか、そもそも可能かどうかは別にして、日本語を浴びるようにして育った者なら、主語のようなものは使わないというのは、呼吸をするように自然な行為である。
 金八先生は、国語の問題を語っていたのではないだろう。《わたし》という個人の意識を明確にさせたかったのだと思っている。だからあえて主語を明確にしろと説教をしたのだ。そう信じたい。金八先生は裏サイトの問題について生徒に考えさせるために、作文を書かせようとしていた。
「あそこにあるのは記号だ。文字ではない」
 それが金八先生の裏サイトについての感想である。その前に、
「便所の落書き」
 といっていたが、どちらかといえばこちらのほうが好きである。言論の自由は厳守されるべきだが、便所の落書きを世界に向けて発信するというのも、たしかにどうかなと思う。品位を問われそうだ(笑)。
 主語の話に戻るが、幸田文さんの『流れる』という作品の冒頭は主語が省略され、だからこそ自然で、しかも読む者がその場にいるような臨場感があった――と、ここまで書いたところでネタばらしをすると、この指摘は井上ひさし氏の文章技術に関する著作からの拝借である。もっといえば、主語を省略すると日本語はぐんと良くなるのというのも、井上ひさし氏からの拝借である(笑)。
 日本語にはそもそも主語がないということを主張されている方がいる。
 ぼくはこの意見を支持する。
 日本語には主語などないと思っている。主語などなくても文章の記述が可能ならば、最初から主語などないと思って文章を綴るほうが正解ではないか。使い慣れない主語などを使って、おかしな文章を書くくらいなら、そんなもの使わないほうがましである。
 金八先生が主語を立てろと語った背景は、生徒に自分というものを見つめさせたかったからだろう。
 ここまでの駄文に、むさくるしい中年男を示す《ぼく》という言葉は、これを含めて二度出てくる。あえてむさくるしい中年男を示す言葉を入れなくても、粗末な頭の中にある考えを書くことは可能である。
 金八先生はべつに主語を立てろなどとおせっかいをいわなくてもよかったのではないだろうか。インターネットの匿名性を利用した「便所の落書き」ではない。ノートに名前を書かせて、手書きで、考えを書かせるのなら、主語などというあるのかないのかわからないものを変に意識させておかしな文章――不自然な文章――を書かせるくらいなら、生徒たちがしっくりとなじんでいる主語のない文章を書かせたほうが、自分を出せたのではないだろうか。自然に言葉が出てくれば、自分でも気づかない自分が、もしかすると、そこにはいるかもしれない。
スポンサーサイト

カテゴリ: テレビドラマ

テーマ: テレビなんでも - ジャンル: テレビ・ラジオ

[edit]

Posted on 2007/10/12 Fri. 22:08    TB: 0    CM: 0

言葉の劇場 

 大好きな映画に『ビフォア・サンセット』がある。イーサン・ホークとジュリー・デルピー主演で、『ビフォア・サンライズ』の続編だ。
 全編、一組の男女の会話で構成されたこの映画は、会話が全てのような映画なのだ。銃撃戦もないしカーチェイスもないが、二人の演技力と素晴らしい脚本に支えられて、ここ何年間に見た映画のなかで一番とはいわないが、五番目くらいには入る映画になった。
 たぶん、国民性の違いなのだとは思うが、セリフということに関していうと、邦画は洋画にやや負けているように思う。ごく大雑把な印象ながら、邦画の登場人物は、たとえば洋画(この場合の洋画というのは主にアメリカ映画だが)の登場人物に比べて、言葉数が少ないように思う。登場人物はもっと喋ってもいいのではないだろうか。これは好みの問題もあり、一概には言えないが、ぼく個人はもっと登場人物に喋らせてもらいたいと思う。多少早口になってもかまわないから、思いっきり喋って、画面を言葉で埋め尽くしてもらいたいと思うことがある。
 もちろんただ喋ればいいというわけではない。ユーモアがあり、哲学があり、ときに鋭くときにじわりと胸にくる、そういったセリフを聞いてみたい。
 小津安二郎の映画の登場人物はあまり喋らない。もちろん、小津作品も大好きではあるが、セリフということに関していうと、あの映画の登場人物の口数の少なさは、人の声も、風の音や小川のせせらぎといった自然音のひとつと小津安二郎は考えていたのではあるまいかと、ふと思ったりする。むろん、そういうやり方もありだとは思う。
 一方の雄、黒澤映画の登場人物はこれでもかとばかりに喋りに喋る。黒澤明自身が自分の脚本は長いとどこかで語っていたが、それはセリフの長さと関係しているのだろう。亜流は山ほど生まれたが、幸いなことにまだリメイクされていない『用心棒』では、普通ならやってはいけないという説明ゼリフまで使っている。黒澤映画がどことなく日本映画ぽくないのはそんなところにあるのかもしれない。ただ、その黒澤脚本もユーモアという点では、やはり洋画に少し負けているかなと思う。
 映画でもテレビドラマでもなく、ましてシナリオでもないが、セリフのやり取りだけで構成された小説がある。笹沢佐保氏の『同行者』だ。もうひとつあったような気がするが、タイトルが思い出せない。
「こんな小説はもう二度と書けない」
 笹沢氏は『同行者』のあとがきかなにかで書いていた記憶がある。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画 - ジャンル: 映画

[edit]

Posted on 2007/10/12 Fri. 00:03    TB: 0    CM: 0

ロートレックとイナゴ 

 ロートレックについて知っていることは、ほとんどない。せいぜい画家ということとくらいしか知らなかった。

20071009192729.jpg



 で、この写真だが、これは大阪のサントリーミュージアムである。
 現在、ここでロートレック展が開催されている。実は今日ここに行ってきた。はじめにも書いたがロートレックについてはほとんど知らないわけで、9月11日から11月4日までここでロートレック展が行われると聞いても、普通なら行くことはなかっただろう。
 実はチケットが当たったのである。
 そんなわけで、ロートレックの作品を見に行ったという次第だ。
 確かに世の中には奇妙な偶然があるらしい。チケットが当たる前のことだ。少し前から、開高健という作家の作品を、どういうわけかまた読んでみたくなり、手始めにというわけで『開口閉口』というエッセイから読み始めた。最初に登場するのがロートレックだったというわけだ。
 この記事のタイトルに『ロートレックとイナゴ』というタイトルをつけたが、開口健氏のエッセイのロートレックに関する文章のタイトルも『ロートレックがイナゴを食べた』というものだった。
 イナゴというのは、もちろんあのイナゴだ。虫である。イナゴを食べると聞いて、ぎょっとする人も、もしかするといるかもしれないが、ぼくの感覚からいえばこれは普通――ではないかもしれないが、とにかく食べても少しも不思議ではないものである。子供の頃、よくイナゴは佃煮にして食べていた。決して異食の類ではない。おそらくある年代から上の人なら食べたことがあるはずだ。好みはあるにしても、決して特殊な食文化ではない。
 ロートレックという人は相当な食道楽だったらしい。料理書があり原題は『料理の芸術(邦題「美味三昧」)』。ロートレックの没後、親友が生前愛好した料理のメニューやレシピやらをまとめたものらしい。開高氏によれば、ほとんどのページにロートレックのデッサンが、色刷りで入っているという。ページを繰るのが楽しくなるような料理本だろう。
 そのなかに『イナゴの網焼き、洗礼者ヨハネ風』というものがあるらしい。名前は仰々しいが、ようするにイナゴを塩焼きにして、頭と内臓を(あの小さなイナゴからどうやって内臓を抜き取るのだろう)とり、レモンの輪切りを沿え、胡椒や唐辛子を振りかけて食べるというだけのものらしい。
 ぼくの感覚からいうと、イナゴの塩焼きというのは、ちょっと……という感じがしないでもない。やっぱり佃煮がいいと思うのだが。
 他にもロートレックは『モルモットのシチュー』も食べていたそうだからなかなかである。蛙も普通に食べるらしいフランス人だから、モルモットくらいで驚いてはいけないのかもしれない。
 とにかくそんな本を読んだ後にロートレック展のチケットが当たったものだから、なにか縁のようなものを感じた。
 絵については語れるほどの目を持っていないから、専門的なことはいえないが、ぼくは好きである。特にポスターが好きだ。あるいは馴染みやすいというべきかもしれない。
 少し、ロートレックについて勉強してみたくなった。

カテゴリ: 日記

テーマ: 雑記 - ジャンル: 日記

[edit]

Posted on 2007/10/09 Tue. 19:34    TB: 0    CM: 0

幻を追う 

 ロバート・ブロックの『サイコ』は二度映画化されている。続編や亜流も含めれば、二度どころではないはずだ。題名は忘れてしまったが、テレビ時代劇で『サイコ』のパクリをやっていたのを見たこともある。
 続編や亜流は今回は外そう。ロバート・ブロックの『サイコ』を映画化したのは、もちろんアルフレッド・ヒッチコックだが、実はもうひとりいる。ガス・ヴァン・サントという監督である。1998年の公開当時、そこそこ話題になったような印象があるから、ガス・ヴァン・サント版の『サイコ』を知っている人もけっこういるのではないかと思う。
 ヒッチコックの『サイコ』が名作であることはいうまでもない。そのヒッチコックの『サイコ』を何から何まで真似たような作品がガス・ヴァン・サントの『サイコ』だった。カット数も同じという徹底ぶりだったらしい。1998年版の『サイコ』は実際に見たが、さすがにカット数までは数えなかった(笑)。だが、実際にカット数まで同じといわれればそうかもしれないというくらい、ヒッチコック版と酷似していた。ヒッチコック版は白黒だった。ガス版はカラーである。当たり前のことだが、役者がちがった。とにかく、違いはそのくらいで後は、ほとんど同じだったのではないかと思う。技術の進歩で多少の違いはあったと思うが、ヒッチコックの映画をヒッチコックの絵コンテに基づいて、カラーで取り直したような、奇妙で、気色の悪いものだった。少しも面白くなかった。1998年版の『サイコ』はゴールデンラズベリー賞を、めでたく受賞したのではなかったろうか。
 ガス・ヴァン・サントという監督については何も知らないが、そこそこに有名な人らしい。どうしてこんなことをしでかしたのか、今でも理解できない。たぶん、この作品への愛情からだったのだろうが、正直、限度を超えた自己満足としか思えなかった。

 白黒からカラーへということでいえば、『椿三十郎』についても危惧を持っている。黒澤明の『椿三十郎』だ。それを同じシナリオを使い、カラーでリメイクする。いくら監督が森田芳光とはいえ――やはり不安である。
 黒澤作品のリメイクは、知る限り映画では『野良犬』があった。知っているのはそれだけだが、これは酷評されたはずだ。どうもひどい代物だったらしい。テレビでは先日『天国と地獄』と『生きる』を放送していたが、どんな代物になったか口にしたくない(実は『生きる』は録画したまま、まだ見ていない、見たくない)。
『サイコ』もそうだったが今回の『椿三十郎』も、どうしてこんなことをするのだろう。こんなことというのはリメイクのことである。映画の世界はそれほど創造力が枯渇してきているのだろうか。新しいものをもう生み出せないほど、疲弊しているのだろうか。最近、リメイク作品が話題になることが多いような気がする。
『サイコ』もそうだし『椿三十郎』も、さらにはリメイクが決定しているという『生きる』も『七人の侍』も、思えば単純なストーリばかりだ。書けばせいぜい三行くらいのストーリーだ。三行で語れるアイデアすら浮ばないとは思えない。
『椿三十郎』についていえば「とある藩にやってきた腕の立つ浪人が、若侍に協力してお家騒動を治める」というだけのものだ。単純明快なストーリーを輝かせるのは、監督の表現力以外にはない。細部にリアリティを持たせる知識であり、役者に的確な演技をつける演出力であり、斬殺音を入れ血飛沫をとばした発明力だ。
 ある作品をリメイクをするということは、先人の表現力を凌駕する表現力が自分にはあり、先人を凌駕する演出力と知識があり、先人をこえる発明力があるという自信がなければできることではないように思う。
 そして、ここが重要だが、同じ方法では絶対に先にそれをやった者をこえることはできない。
『椿三十郎』を劇場で見たいか見たくないか、微妙なところだ。
 かつての名作をリメイクするということは、幻を追っているようなものかもしれない。名作(主観的な意味の名作も含めて)というのは単にその作品が優れているということだけではなく、その作品が発表された時代の思い出もセットになっている。現実の風景と心の中の風景がちがうようなものだ。
 幻を追うことは、やめたほうがいいのではないだろうか。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

[edit]

Posted on 2007/10/07 Sun. 12:58    TB: 0    CM: 0

プロフィール

最近の記事

月別アーカイブ

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

FC2カウンター

メールフォーム

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。