Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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ちょっと恥ずかしい本棚 

 ちょっと恥ずかしい本を集めた本棚、という意味だ。これは知り合いの日記さんのなかに登場した名文句である。もしかするとこのブログを読んでいていただいているかもしれない。この場を借りて、使わせていただいたことをご報告します。
 さて、ご挨拶も終わったところで、少し恥ずかしい本棚に集められた本は、だいたいハードボイルド小説系の本が多い。正確にいうと、私立探偵小説系の本である。
 ハードボイルド、というかチャンドラー流私立探偵小説、もしくは一人称系犯罪小説の主人公の気取りに気取った姿が、いいかげんな歳になるとちょっと恥ずかしくなってくる。男のハーレクインロマンスというからかいを含んだ文章をちらりと読んだ記憶がある。思わず笑いが漏れた。いわれてみればその通りだという気がする。
 ハードボイルド小説というのは、本来気取った私立探偵の登場するお話ではなかった。私立探偵が主人公になることはあっても、気障で気取ったセリフをいって、感傷に浸り、大酒を飲んでいる、というイメージは、少なくともハードボイルド小説の始祖とされるダシール・ハメットの小説にはなかった。
 ハメットの小説は変わっている。とくに『マルタの鷹』は小説として考えるとまったくの異色作だ。心理描写皆無の小説というものを読んだのは、たぶんあれがはじめてではなかったろうか。読んでいて異様な感じがするが、ハードボイルドといえばこれ以上ハードボイルドな小説はないのではないだろうか(ハードボイルドの本来の意味を、正確に述べることはできないが、印象としてつかっている)。
 心理描写云々は別にしても、その題材、雰囲気がすでに血も涙もない感じがするのである。『血の収穫』『マルタの鷹』『ガラスの鍵』――ハメットの作品で有名なところは、こんなところではないかと思うが、たとえば『血の収穫』などは、一種のギャング小説のようなもので、黒澤作品『用心棒』の元ネタになったのは、有名な話である。なにせ黒澤自身がそれを認めている。1920年代のアメリカの腐敗しきった状況をこれでもかと描き、だから、これは一種の社会派小説ではないかとさえ思えてくる。この感覚――『血の収穫』を社会派小説にこじつけるなら、『マルタの鷹』は不思議な恋愛小説のようでもある。『ガラスの鍵』はなんとなく映画『ミラーズ・クロッシング』のようだ……いや、逆だ。映画『ミラーズ・クロッシング』がハメットの小説のようだ。ちなみにぼくは『ガラスの鍵』が一番好きである。
 たしかなことはハメットの小説に気障も気取りも感傷もないということだ。殺伐とした世の中で、自分の腕一本、才覚ひとつで生き延びていく殺伐とした男たちが描かれているだけだ。
 さてレイモンド・チャンドラーである。実は『レイモンド・チャンドラー読本』なる本がある。「チャンドラー生誕百年」を記念して出版された本で、様々な資料や、評論、チャンドラーの短編『イギリスの夏』、それから我らが矢作俊彦の『The One of Writer』という――たぶん、『大いなる眠り』を書いたころのチャンドラーをモデルにしたと思われる――短編小説が読める。
 この本のなかに船戸与一氏のチャンドラー的なものへの否定といってもいいような評論が掲載されている。ハードボイルド小説を堕落させたのはチャンドラーだとはっきり書いている。小説として持っている力は比較にならない。もちろん、ハメットの方がはるかに上だと。声を小さくしていうと、ぼくもそうではないかという気がする。しかし、チャンドラー生誕百年を記念して出版された本に、そのチャンドラーを否定するような評論を掲載するとは、早川書房もなかなかに太っ腹である(笑)。
 ハメットとチャンドラー、どちらが好きかは一概にいえない。先に船戸与一氏の意見に賛成するようなことを書いたが、それでもチャンドラーが小説の歴史に名をのこした偉大な作家であることは事実だ。だがそれを認めてもなお、ハメットは他の追随を許さないという感じがする。あるいは誰も『マルタの鷹』のような小説は書かないだろうし、書けないのではないかという気がする。一方のチャンドラー的な小説は、その後様々な模倣者を生んでいる。
 チャンドラーの作品がちょっと恥ずかしい本棚に並んでいるかどうかは――秘密です。
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カテゴリ: 読書

テーマ: 雑記 - ジャンル: 本・雑誌

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Posted on 2007/07/26 Thu. 18:31    TB: 0    CM: 0

座頭市のキャラクター 

 近衛十四郎さんと勝新太郎さんの殺陣が余りに凄かった『座頭市 血煙街道』のことを書いていたら、記念すべき第一回作品『座頭市物語』のことを思い出した。いや、これは正しくない。知り合いのブログさんが思い出させてくれたのである。『座頭市物語』のラスト、天知《平手造酒》との戦いである。殺陣が凄いというよりも、あれは演技の延長として、好きである。
 個人的にいうと『座頭市物語』という作品は、それ以後に作られた座頭市シリーズとは別物だと考えている。『ゴジラ』第一作がその後のゴジラ映画と一線を画しているようなものだ(おっと、これも個人的な見解です)。
 その後の座頭市シリーズにあって『座頭市物語』にないものは、ユーモアだと思っている。とにかく第一作の座頭市は暗かった。だからだめだといっているのではない。あれは傑作だと思っている。たとえばその後の座頭市が良質のエンターテイメント(中にはちょっとなあと思わせるものもあるが)だとすれば、第一作は座頭市という極めて個性的な人物をこれでもかと掘り下げた人間ドラマ――というのは言い過ぎにせよ――一種アングラ系の凄みがあった。
 はっきりいえばこのときの座頭市は、その後の情に厚く、ユーモアがあり、常に弱者のみかたという優しい座頭市ではなかった。暗く、頑なで、冷たい、ダークヒーローだった。居合の型もまだ完全に決まっていなかったのか、一番最初に腕を見せる場面、仕込み杖は逆手ではなく普通の持ち方で抜いている。その後、夜道でふたり組みに襲われたとき、逆手居合いを見せるのである。第一作の座頭市の殺陣が見られるのは、三回程度ではなかった。最初の蝋燭斬り、夜道の襲撃二人斬り、そしてラストの平手造酒との橋の上での対決、この三度ではなかった。最後に怒りを爆発させ、酒樽を切る場面を入れても四回程度だ。
 勝新太郎はこの前に『不知火検校』に主演して、アンチヒーローに目覚めていた。というか二枚目路線に行き詰っていた勝新太郎起死回生の一発が、不知火検校だった。いやあれはアンチヒーローなどという生易しいものではない。極悪非道である。しかし、その影を第一回の座頭市はたしかに引きずっていたように思う。
 余談だが、座頭市の剣は我流ではなかったはずだ(ちなみに『サブと市捕り物控え』の《市やん》の剣は我流である)。たしか田宮流居合術ではなかったか。もちろん、田宮流に逆手斬りなどなかったと思うが、物語の設定としてはそうなっていたような気がする。
 思えばまったく特殊なヒーローである。仕込み杖を持ち、逆手斬りを得意とする。もうこれだけでかなり特殊だ。キャラ的にいえば、最後は正義のお侍さんに斬られてしまう悪役よりの主人公だったという気がする。
 これも有名な話だが、第一作『座頭市物語』のラストはふたつ存在している。実際に撮影されたのかどうかしらないが、ひとつは市が死ぬパターンでもうひとつは生き残った市が杖を捨てて旅に出るというものだった。社長の鶴の一声で、市は生き残り、旅を続けた。
 しかし、思うのだが、もしあの第一作のままの人物像なら、われらが市さん(ここはひとつみんなで“いっつあん”と呼んでみよう)のその後の活躍はなかったような気がする。誰もが愛せるキャラクターに創り上げた、役者勝新太郎の力だろう。
 よし、今夜は『座頭市』を見よう。

カテゴリ: 時代劇

テーマ: 見た映画の感想 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/07/20 Fri. 20:20    TB: 1    CM: 0

殺陣も色々 

 片岡千恵蔵さんだったと思う。かつて主演された名作『血槍富士』についてインタビューを受けた時、あの語り継がれるラストの大立ち回りについて、
「内田吐夢監督は演技をつけているのだと思った。殺陣というのは美しいものだ」
 というようなことをいっておられたのが記憶に残っている。
 この時代劇の超大御所にとって、殺陣というのはあくまでも美しいものでなければならず、リアルというものはあくまでも演技であって、殺陣ではなかったのだろう。
 リアルと現実は別物だと思っている。実際の斬りあいを見たという人の談話によれば、ひどく醜いものだという。当たり前だと思う。映画やドラマで見せる殺陣は、あくまでも見せることを前提に作られている。リアルといわれた工藤栄一作品でも『木枯し紋次郎』でも、それは不恰好のかっこよさを見せるための殺陣だった。
 面白い殺陣でいうと、『赤ひげ』のなかで新出去定がみせる柔術は凄かった。ほんとうに投げ、ほんとうに間接を外しているのではないかと思わせる迫力があった。後にNHKで連続ドラマ化された小林桂樹主演の『赤ひげ診療譚』は倉本聰脚本だったが、主人公赤ひげは剣の達人に設定されていた。そういう変更とは別に、ぼくは倉本脚本が実はあまり好きではない。あのもどかしさがいやである。あくまでも個人の好みだから気にしないでください(笑)。
 もうひとつ忘れられない殺陣がある。『大江戸捜査網』のファーストシーズン、杉良太郎、梶芽衣子、瑳川哲朗、のころだ。その中の一本に全編匕首を使った殺陣があった。これがえらくかっこよかった。太刀を使った殺陣もいいが、こういう短い刃物を使った殺陣もいい。
 萬屋錦之助というひとは自分の殺陣について、
「一気に五、六人斬りたいところを三人くらいで我慢する」
 みたいなことをいっていた。ようするに間が大切だということらしい。
 時代劇の殺陣を変えたのは、やはり黒澤明だろう。リアルというのなら、すでに『羅生門』のときにそれをやっていた。『七人の侍』のときは、西部劇の撃ちあいの感覚を殺陣に取り入れようとしていたらしい。

 テレビ朝日だったか、時代劇がなくなるらしい。完全に消えてしまうというわけではなく連続ドラマがなくなるということだ。特番としては存続するが、毎週決まった時間にチャンネルをひねれば(この言い方古いねえ)時代劇が見られるという状況はなくなろうとしているらしい。もの凄く残念である。
 時代劇というのは過去に題材をとったドラマというだけでなく、一種の伝統芸能のようなものだと思っている。大切に扱って欲しいと思う。視聴率が稼げず、ゴールデン枠では無理なら深夜帯でもいいから、放送してほしいと思っている。

カテゴリ: 時代劇

テーマ: TV - ジャンル: テレビ・ラジオ

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Posted on 2007/07/18 Wed. 23:27    TB: 0    CM: 3

近衛十四郎の殺陣 

『座頭市・血煙街道』という作品は、ふたつの意味で印象に残っている。はじめて見た座頭市映画であったということ。そして、スクリーンサイズで近衛十四郎という役者を見たということである。後に『ブラインドフューリー』というタイトルでハリウッドでも映画化されたこの作品は、座頭市との最初の出会いとしては、幸せな出会いだった。
 ハリウッドが目をつけただけの面白さがあった。若かりしころの中尾ミエさんも出ていて、途中で歌謡曲を歌いだし、あわやミュージカルか、とはらはらさせたが、ラストの勝《座頭市》と近衛十四郎の対決は、時代劇に歌謡曲という無茶を補って余りあるほどの迫力があった。頭が真っ白になるほど、その殺陣は見事だった。市の逆手斬りと近衛十四郎の長刀が絡み合い、太刀風が耳元でうなるかというほどの凄さだった。
 ぼくの座頭市映画の印象はあの一作で決まったといってもいい。

 座頭市のことはさておくとして、近衛十四郎である。この人をはじめて見たのは、テレビ番組『素浪人・月影兵庫』だった。
《十剣無統流・上段霞切り》
 その殺陣の凄さは、子供のぼくが息を飲むほど鮮やかだった。
 この人の刀は特殊なのだろう。柄の部分が普通の刀に比べてかなり長かった。刀身も長かったのだろう。とにかく長い刀を猛スピードで振るう殺陣は、凄いの一言に尽きる。これは私的な印象だが、殺陣は近衛十四郎という人が一番うまかったのではないだろうか。一度、黒澤時代劇に登場する近衛十四郎を見たかったものだ。
 月影兵庫の殺陣で忘れられない場面がある。敵の刀を自分の刀で絡め取るという殺陣だった。普通なら絡め取った刀を刀身でくるくるっと回しどこかに飛ばしてしまう。事実、長門勇が大小二刀を使ってそういう殺陣を演じているのを見たことがある。
 ところが近衛十四郎という人は、さらに凄かった。絡め取った刀を飛ばさなかったのである。どうしたかというと八相気味に立てた刀で絡め取った刀をくるくると回しながら、演技を続けた。あまりの凄さ、かっこよさに呆気に取られた。
 その『月影兵庫』が復活するという。近衛十四郎の息子である松方弘樹が父親の当たり役を演じる。あの殺陣は無理かもしれないが、とにかく期待したい。

カテゴリ: 時代劇

テーマ: 時代劇 - ジャンル: テレビ・ラジオ

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Posted on 2007/07/16 Mon. 22:20    TB: 0    CM: 2

同心の刀は斬れるのか? 

 必殺続きでひとつ思い出したことがある。中村主水にしても、二代目になりそうな渡辺小五郎にしても、腰に刺した刀で裏の仕事をやってのけるわけだが、問題はあの刀である。町方同心の刀というはどうも斬れなかったものらしい。刃引きだったのだ。
 テレビの時代劇では侍は切り捨て御免、町人の命など紙切れ一枚より軽かったかのような描かれ方をしているが、実際の江戸時代は人命尊重の時代だったらしい。そうでなければ300年近くも徳川家は政権を維持できなかった。司馬遼太郎氏が、たとえば諸外国の王様、特に中国の皇帝などと比べると、日本の徳川家というのは可憐なほどに小さな権力しか持っていなかったと書いていた。その証拠は墓所だという。日光東照宮を覗けば、歴代将軍の墓所というのはほんとうに小さい。
 さらに江戸時代、あの大名行列をとめさせる存在があった。産婆さんとお医者さんである。それはなんといっても封建時代だ。有り余るほどの自由があったはずはないが、相互監視と連座制、厳罰主義だけで、300年近い政権を維持できるはずがない。
 話を戻して、同心の刀だ。たとえば同心が犯行現場を押さえて、抵抗されたからその場で切り殺すなどということはなかったらしい。鬼平さんでおなじみの火盗改でも発見次第、殺害というとはなかったという。
 抜刀命令が出るのは、よほど犯人の捕縛にてこずる場合で、実際はめったになかったものだった。

 史実に基づくとよく言われるが、もし史実に基づくと時代劇は成立しなくなるかもしれない。西部劇は歴史劇になってから、それまであったある種の面白さが失われたという。歴史の重みは認めつつも、やはりそこはお話としての嘘をまじえないと、ちっとも面白くないものかもしれない。

カテゴリ: 時代劇

テーマ: 時代劇 - ジャンル: テレビ・ラジオ

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Posted on 2007/07/13 Fri. 21:10    TB: 0    CM: 0

時代は変わる・必殺仕事人2007 

 七夕の夜に久しぶりに復活した『必殺仕事人』を見た。
 いうまでもないことだが、このシリーズは池波正太郎氏の『仕掛人藤枝梅安』シリーズを母体として生まれた。しかし、池波正太郎氏はこのシリーズを嫌っていたという。その理由については、今回は脇に置いておこう(笑)。
 自分のことについていえば、必殺シリーズは嫌いではなかった。善と悪がくっきりと色分けされた世界は、言ってみれば誰も悩まなくてもいい世界だ。悪は悪らしく振舞い、善良な人々を泣かせ、善良な人々は抵抗を試みることもなく、常に忍従と犠牲を強いられる。怨みの代行者たる仕事人は善と悪の両方に片脚をかけている。
 いまさらいうまでもないことだが、人間は善悪二元論で語れるほど単純ではない。池波正太郎氏ではないが、
「良いことをして悪いことをし、悪いことをして良いことをする」
 というなんとも厄介な存在だ。
 すると、必殺シリーズで人間らしかったのは、裏家業の仕事人だけだったということになる(笑)。
 娯楽エンターテイメントに、人間ドラマを期待しているわけではない。毒をもって毒を制する、悪をもって悪を裁く、という設定は『必殺シリーズ』――というよりも『仕掛人藤枝梅安』シリーズが産みだしたものだった(これは比喩的にいっている、そういう設定は昔からある)。だから、『仕掛人藤枝梅安』には燃えるような正義感はない。そもそもそういうことを考えない人物である。最低限のルールとしてこの世にいては害毒を流すばかりの人物に対して仕掛を行うというルールがあるだけである。
 長い『必殺シリーズ』の中で最も印象に残っている人物は《念仏の鉄》である。緒方拳が演じた藤枝梅安もそれなりに印象に残っているが、こちらの方はどうしても原作とダブってしまう。原作とテレビ版の藤枝梅安はまったく別物である。小説に登場する藤枝梅安はもっと重厚だ。それでもやはり原作があるということでこちらは除外するとして、そうなるとやはり念仏の鉄が群を抜いている。断っておくがこれはもちろんぼくの個人的な感想である。
 名優山崎努の怪演による念仏の鉄という人物は、「殺伐」という二文字を実体化したような人物で、いつ仕置きされる側に回っても少しも不思議ではないような人物だった。悪を裁く側に回ったのは、偶然でしかない。そんな感じの人物像だったのだ。こういうのを演技力というのだろう。
 この山崎《念仏の鉄》ほどではないにせよ、印象に残る仕事人・仕置人はたくさんいた。初期の頃――といっていつ頃までが初期か線引きは難しいにしても――けっこうな名優たちが得体の知れない怪物的な人物を演じてきた。はっきりいえばグロテスクな怪物である。変わりはじめたのは、三田村さん中条さんがメンバーに加わったころからではなかったろうか。
 さて今回の復活した必殺だが、楽しく見ることはできた。全体の印象からいえば、健全になったと思う。今の時代はこれでいいのだろう。TOKIOの松岡君もそれなりに頑張っていたように思う。彼の役どころが、非侍部門の仕事人代表――たとえば梅安さん鉄等々――なのだろう。ほんとうならスケベで食い意地の張った人物なのだろうが、さすがにジャニーズのスターにお女郎さんを買わせるわけにはいかったのだろう、食道楽だけでとどめたようだ(笑)。ちなみに中村主水の後継者、東《渡辺小五郎》は外して考えよう(笑)。東という人はどこでなにをしようと東なのだという感じがする。『クイタン』だろうが『必殺仕事人』だろうが、彼は彼だ。こういう人を評価しては罰があたる(笑)。
 それから時代考証とかそういった面倒なことは、このシリーズを見るとき、いったん頭から追い出さなければ、腹立ちの種になる。これは一種の歌舞伎だと思って眺めることにしている。衣装も何もかも、ほんとうかそうでないかよりも、そのキャラクターを引き立てているかどうかの方が大切だと思って観ることにしている。
 多少整合性に問題があろうが中村主水が復活してくれたことは嬉しかった。
 世代が変わろうとも仕事人を続ける中村主水という人物は、本当の意味での主役ではないのかもしれない。

カテゴリ: 時代劇

テーマ: TV - ジャンル: テレビ・ラジオ

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Posted on 2007/07/08 Sun. 09:14    TB: 1    CM: 6

騙された気分 

 好きな監督のひとりにS・キューブリックがいる。好きというのはちょっと「?」だが、嫌いでないことはたしかだ。面白い話がある。『シャイニング』の映画化に際して、キューブリックが原作者のS・キングに電話をかけてきた。小説『シャイニング』は素晴らしいといったらしい。その理由は、幽霊がいるのなら死後の世界があるということだ。だから何も恐れなくていい。言われたキングは考えて、
「しかし、地獄があるかもしれないじゃないですか」
 キューブリックはちょっと間を置いて、
「地獄については考えないでおこう」
 このとんちんかんなやり取りが凄くいい(笑)。
 その映画『シャイニング』をキングが認めていなかったのは有名な話だ。あの映画はキャディラックだ。ただしエンジンがついていない。ちょっと違ったかもしれないが、まあいいだろう。否定的であることはわかるでしょう。個人的にいえば、あの映画はそんなに悪い映画ではなかったと思う。怖いとは思わなかったが、それを言い出せば、モダンホラーというジャンルそのものが怖いという感じではない。
 余談だが、怖いというのなら、たとえばタルコフスキーの映画は怖い。ベルイマンの映画も怖い。パゾリーニの映画も怖かった。この世界的な名監督たちは、別にホラーを撮るつもりはなかっただろうし、映画もホラーではないが、何か得体の知れない怖さが全体から滲み出していた。

 キューブリックの『2001年宇宙の旅』は怖かった。
 この映画をはじめて見たのは小学生のころだった。宇宙船と宇宙ステーション、まさにSFそのもののポスターを眺め、期待に胸を膨らませつつ映画館に入ったはいいが、はじまって出てきたのはお猿さんだ。騙されたような気がした。お猿さんの場面が延々と続き、挙句にわけのわからない黒い板である。子供にとってはもう詐欺にあったようなものだった。
 小学生の目には得体の知れない黒い板にしか見えなかった――事実、あれは黒い板以外の何物でもなかったのだが――モノリスに触れた猿が、骨を武器にして仲間を殺す。人類の最初の道具は武器で、しかもその武器は、仲間に対して使われた。実に意義深い場面だったのだろうが、ぼくは小学生である。「わかんねぇよ~」だ。そして仲間の血を吸った骨を空高く放り投げて、それが人工衛星に変わるあの場面は、時間が過去から未来へと一瞬で繋がる映画ならではの名場面――と誰かが書いていた――なのだろうが、何度もいうが小学生である。あまりのわからなさに目を白黒させていた。
 あの映画はいま見てもわからない。アーサー・C・クラークの小説(原作ではなく小説)には色々と説明があり、多少はそういうものかと思えるようになったが、映画と小説は別物かもしれない。ディスカバリー号の行く先も小説が土星で映画が木星だった。
 とにかくあの映画は、昔も今もぼくにとってさっぱりわからない映画だが、名作であることはまちがいないと思う。それも映画史に残る大傑作だ。
 小学生のぼくがあの映画を見ていて、恐怖に震えた場面がある。人工知能ハルを、ボーマン船長が破壊する場面だ。真空の中で、宇宙服もつけず、ポッドからディスカバリー号に乗り移る場面からすでに怖かった。あの場面はまったく音がしない。ぞーっとした。そしていよいよハルを破壊する場面。ハルの中にある様々な情報が引き出されてくる。おかしな歌まで流れる。あれは怖かった。今見てもあの場面は怖い。ホラーというのなら、あの場面はまさにモダンホラーだった。
 こうして考えてみると、怖いというのはなにも超常現象を描いたり、殺人鬼を描いたりするばかりではないだろう。超一流の監督がその気で描けば、お花畑の中で転寝をしている場面でも、恐怖を感じさせられるものかもしれない。
 小学生のころ騙されたような気がした映画だが、『2001年宇宙の旅』を子供時代に見ることができて、やはりよかったと思う。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/07/02 Mon. 19:29    TB: 3    CM: 0

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