Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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嫉妬と天才 

 ちょっと前――ほんの昨日のこと――また、アマデウスについて考える機会を持てた。アマデウスというのはもちろん、ミロシュ・フォアマンの映画のことだ。
 実際のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがどんな人間であったのかは知らない。あの映画に描かれたような、不真面目の極み、お調子者の天才などではなく、真面目な人だったという話も聞いたことがある。
 映画『アマデウス』は本当に好きな映画だ。現実のモーツァルトがどんな人間であったかではなく、あの映画のモーツァルトが好きだ。それは映画的な現実の中におかれたあの人物像が好きだということで、実際に身近にあんな奴がいたら(笑)、ごめんなさいである。
 自分がほしくてたまらないのに、手に入りそうもないものを、人が持っていることがある。それも一番嫌な奴がそれを持っていることが多い……と、考えてそうではないかもしれないとふと思った。自分が欲しくてたまらないものを持っているからいやな奴なのかもしれない。

 たとえばあの映画の中でサリエリはなぜモーツァルトに殺意を抱くほどの嫉妬心を持ったのか。
 よく考えてみると、現実的な意味での成功者はサリエリのほうなのだ。地位も名誉も富もある。モーツァルトは天才かもしれないが、社会的な成功は収めていない。少なくともあの映画の中でモーツァルトはサリエリほどの富も名声も得ていない。
 しかも、その天才性すら広く認知されているとは言い難いというような描き方をされていた。ただひとり、サリエリだけがモーツァルトの耳に届く神の声を認識することが出来た――という、そんな描き方だった。
 モーツァルトが天才であったことは紛れもない事実だと思う。だからこれは映画の中の話として聞いてもらいたいのだが、サリエリが嫉妬し、殺意まで覚えたモーツァルトの才能は、実はサリエリの心の反映で、何かの基準に照らして普遍的にそうだと言い切れるものではなかった。もちろん、映画はそのあたりのことを、モーツァルトの音楽は残り、サリエリの音楽は忘れ去られていくということで描いてはいたのだが、サリエリが殺意を抱いたあの瞬間だけを切り取ってみれば、平凡な第三者としては、
「なんでそうまで思いつめるんだよ。気楽に行こうぜ」
 と、肩のひとつも叩いてやりたくなる(笑)。

 現実の世界では、結局人は{人はじゃなくて、ぼくはだな……(笑)}いま手元にあるもので満足しなければいけない。映画の中のサリエリには、
「あなたは富みも名声も得たんだから、それで満足しなければいけない」
 と、言ってやられなければいけないのかもしれない。
 が、心で思うことはやはりとめられない。
 よく人間が描かれていない物語はだめだと言われる。本当にそうだろうかと、懐疑的だったのだが、いま考えてみると、これまで好きになった映画や物語はすべて人間の深い葛藤が描かれていたものばかりだった。こんなことに気づかなかったとは、やっぱりぼくは三流だ(自嘲)。
 ぼくがあの映画にひきつけられるのは、羨望やら嫉妬やら怒りやら、そういった激しい感情の渦に巻き込まれてもがいているサリエリの姿に感動するからだ。モーツァルトはただ天才としてだけ存在している。そばにサリエリののたうちまわる姿がなければ、モーツァルトの天才は輝かなかった。
 すると、あの映画のモーツァルトは人間というよりも、人間の持つ天才性を象徴的に描いたものかもしれないという気さえしてくる。

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カテゴリ: 映画

テーマ: お気に入り映画 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/04/30 Mon. 23:58    TB: 0    CM: 0

嘘つきの条件 

 とある場所で白タクの話が出たと思ってもらいたい。白タクとは何かという説明は省くことにして、話を続ける。
 西村寿行という作家がエッセイか何かで書いていたのだが、作家になる前に様々な職業を経験した。その中に白タクがあったと書いていた。この話がほんとうかどうかは微妙だと思っている。
 我らが矢作俊彦は、でたらめな経歴を使っていたことがある。印刷物にそれが残っている。
 たとえばとある有名な劇作家・作家氏がいる。この人は以前、
「わたしの母は狂死した」
 と書いていたことがあるらしい。とんでもない話だ。この人のお母さんは劇作家・作家氏の子供、つまり彼女の孫のお守りをしていた。
 さらに、すでに故人となった有名なある作家は、その著作で度々、
「わたしは母に捨てられた」
 と書いていた。この文章を読んだ作家氏の母上が、
「いつわたしがお前を捨てた」
 と、怒ったそうである。ちなみに、この人も劇団を持っていた。作家と書いたが、作詞もこなすマルチな人だった。さらに言えばハンサムだった。高校時代にこの人の著作を読んで、一時期本気で家出を考えたことがある(笑)。しかし、そのころぼくはすでに家を出ていたから、あえて家出をする必要があるのだろうかと考え、取りやめにした。
 基本的に作家は嘘つきだと思って間違いない(笑)。
 たしか豊田有恒氏だったと思うが『あなたもSF作家になれるわけではない』という著作の中で、
「作家というものは複雑なものだから、書いていることをそのまま信用することはできない」
 と、平井和正氏の語学力を例にとって、書いていたことがある。
 回想と想像は似ている。大岡昇平氏が『野火』の中で書いている。ある出来事を言葉で表そうとすると、どうしてもそこに書き手の心情が混じる。言葉は自己増殖する。勝手に物語を紡ぎだしていく。
 だから、日記は全て私小説だ。

カテゴリ: 日記

テーマ: ひとりごと - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/29 Sun. 22:48    TB: 0    CM: 0

笑いと言葉 

 実は、根が凄まじく不真面目である。いや、こんなふうに書くと誤解を招くといけない。ようするにお笑い好きなのだ。だから、悲劇よりも喜劇を、真面目よりもちょっと不真面目をこよなく愛している。テレビのお笑い番組も好きで、いま注目しているある芸人がいる。その名はムーディ勝山。彼はいい(笑)。泣けるほど好きだ。
 
 しかし、そのムーディ勝山よりも好きな――いや、尊敬しているのがウディ・アレンである。映画はもちろん好きだが、今日は映画のことではなく、彼の小説についてである。
 CBSソニー出版から1981年にウディ・アレンの短編集が出版された。
『羽根むしられて』
 というタイトルだ。
 その中に『もし印象派画家が歯科医であったなら』という短編がある。オリジナルはあの『ヴァン・ゴッホ書簡集』で、つまりゴッホと弟のテオの手紙のやりとりだ。ウディ・アレンはゴッホを歯医者にしてしまった。
 これは抱腹絶倒である。なにせ、橋義歯(つまりブリッジ)について、そこいらの職人のようなものはつくれない。巨大なふくれかえった橋義歯にしようと考えるのだ。激烈に、野生的な歯が、炎のように……と、まあこんな感じで続いていく。
 普通の人間は、ゴッホを歯医者に見立てて小説を書こうとは思わない(厳密にいえばこれは小説ではないかもしれないが)。このあたりが才能というものかもしれない。
 他にも傑作満載である。

『ハンナとその姉妹』でウディ・アレンが演じた不安神経症の男も大いに笑える――だが、すぐにそこに自分の姿を見る。すると、笑いに微妙な影が差す。このあたりの微妙さが好きといえば好きだ。
 ただ、昔こんな文章を読んだことがある。
「日本人はウディ・アレンの面白さを半分もわかっていない」
 それは言語の問題だ。英語のわからない者に、ウディ・アレンのほんとうの面白さはわからないというのだ。その通りだと思う。笑いは言語に支えられている部分が大きい。井上ひさしさんの作品を読んでいても、言葉扱いの面白さで笑わせられる部分が大きい。へんな言い方だが、一連の井上作品を笑って読むためには、日本語の達人であることが前提なのだと思う。
 翻ってウディ・アレンを好きなぼくとしては、ああもう少し英語を勉強しておけばよかったなあと、その作品に触れるたびに、しみじみと思うわけである。

カテゴリ: 読書

テーマ: 雑記 - ジャンル: 本・雑誌

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Posted on 2007/04/28 Sat. 20:41    TB: 0    CM: 0

ブルースが聴こえる…… 

 というのは、ずっと前のコマーシャルのキャッチコピーだ。何のCMだったのか忘れてしまったが、絵は覚えている。若い男女(もちろん美男美女)が、バスタブに二人で入っている。そこにダウンタウンブギウギバンドの『身も心も』が流れる。
「ブルースが聴こえる……」
 と、そこでナレーションがかぶるという具合だ。
『身も心も』はもちろんブルースではないが、それでも妙に画面とあっていて、そのナレーションがすんなりと心に滑り込んできた。
 ダウンタウンブギウギバンドに『バラード(だったと思う)』というタイトルのアルバムがあった。これはかなり好きだった。『身も心も』もその中に収められていた。
 宇崎竜童は自分の作る曲のことを、カタカナ演歌だと言っていたことがある。確かに演歌的な曲もあった。『一番星ブルース』などはまさに演歌だ。たしかファーストアルバムには『網走番外地』も収められていたのではないだろうか。
 原田芳雄さんが『リンゴ追分』を歌うとき、この曲『一番星ブルース』を一番と二番の歌詞の間に挟んで歌っていたのを聴いたことがある。
 ミスマッチの面白さとしては、以前長谷川きよしさんが「シリーズ二つの顔(これもだったと思う)」というコンサートを続けていたことがあり、そこでダウンタウンブギウギバンドと競演したことがある。そのとき、曲を交換した。長谷川きよしさんが宇崎竜童さんに贈った曲が『何年かに一度は』――これは名曲です。
 そして、宇崎竜童さんが長谷川きよしさんに贈った曲が、あの畢生の名曲『砂地獄』だ。

カテゴリ: 音楽

テーマ: 日記 - ジャンル: 音楽

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Posted on 2007/04/27 Fri. 22:32    TB: 0    CM: 0

最後の誘惑の覚悟 

 マーティン・スコセッシの『最後の誘惑』は、キリスト教団体の大批判に晒された。それはそうだろう。この映画はキリストを生身の人間として描いたのだ。キリストの人間としての苦悩を描いたのではない。文字通り、生身の人間にしたのだ。十字架にかけられ、その苦痛から逃れるために、キリストは自分から救世主であることをやめる。

 この映画の中で忘れられない場面がある。あるいは一番、感動した場面というべきだろうか。
 十字架の苦痛から逃れ、マグダラのマリアと結婚して子供も授かり、程よく老いて平凡な男になったキリストが、自分の復活について語っている男と出会う場面がそれだ。キリストは熱心に自分について語っている男に近づいて行く。そして、
「お前は嘘をついている」
 と、言う。復活をその目で見たのかと、追い討ちをかける。
 男はキリストを追いかけてくる。そして、問答がはじまる。男は最後に言う。
「人々は苦しんでいる。希望が必要だ。キリストが本当に復活したかどうかは問題ではない。人々に希望を与えるためなら、何度でもキリストを復活させてみせる」

 ぼくはもちろんクリスチャンではないが、こういう考え方は、キリスト教から、あるいは信仰から外れるものであるような気がする。信仰とは絶対を求めるもので、理屈で納得するものではないと思うからだ。
 しかし、キリストが本当に復活したかどうかは問題ではない、苦しむ人々のためなら何度でも復活させて見せる――と、登場人物に語らせた気分はわかる。
 キリスト教団体から大批判を受けはしたが、監督マーティン・スコセッシは熱心なカトリック信者だと聞いたことがある。この作品を撮ると決めたとき、どういう批判を受けるか当然予想できたはずだ。それでも撮ったというのは覚悟だ。と、同時に、自分自身に対しても覚悟が必要だったのではないだろうか。

カテゴリ: 映画

テーマ: 気になる映画 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/04/26 Thu. 22:20    TB: 0    CM: 0

トンネルと美術 

 黒澤明の『夢』の中の「トンネル」という話が一番好きだ。
『夢』は8話からなるオムニバスドラマである。すべて黒澤明の見た夢を、映像化したものだという。
「トンネル」は怖い話だ。ある男が山中のトンネルを歩いている。トンネルを出て立ち止まり、振り向くと、足音がトンネルの奥から響いてくる。
 ざっざっざっざっ……
 それは戦争により非業の死を遂げた兵士たちの亡霊の足音なのだ。
 トンネルに響く足音と、現れる彼ら。トンネルと兵士たちの亡霊。黒澤明のイマジネーションの凄さだと思う。暗いアーチ型のトンネルを背景に立つ青ざめた顔の兵士たち。後列はトンネルの闇の中に消えている。そのトンネルがどこに続いているのか、様々な想像ができる絵なのだ。
 眺めていると、その男自身、どこから来たのか、つい考えてしまう構図になっている。彼と兵士たちの間に、実はそれほどの違いはないのかもしれない。そう考えると、この絵はかなり怖い。
 大林宣彦監督は以前テレビ番組で、
「一流の映画監督はほぼ全員、ホラーものを一度は撮っている」
 と、言っていた。
 その話の真偽のほどはわからないが、黒澤明は『夢』の中でそういう作品を撮っている。
『世にも怪奇な物語』という映画がある(『世にも奇妙な物語』ではない)。三本のオムニバスで、その中にあのフェリーニの一本がある。『悪魔の首飾り』というタイトルのその作品は、かなり怖い作品だ。
 フェリーニ、黒澤、こういった監督のホラー的な作品を見ていると、この種の映画は、美的感覚の鋭い監督がやはりいいのかもしれないと思えてくる。黒澤明は日本映画界最大の画家だ。フェリーニの美的感覚は『甘い生活』の冒頭、空を飛ぶキリスト像を見ればわかる。

カテゴリ: 日記

テーマ: 日々のつれづれ - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/25 Wed. 22:57    TB: 0    CM: 4

暴走機関車・疾走する黒い情念 

『暴走機関車』は結局、シナリオを書いた黒澤明の手では映画化されなかった。
 アンドレイ・コンチャロフスキーが脚色を加え映画化した。
 黒澤明はこの映画を認めていなかった。ぼくは黒澤明がこの映画を批判しているインタビュー記事を読んだことがある。
 ぼく自身はといえば、この映画が決して嫌いではない。どころか、むしろ大好きな映画である。
 黒澤明のイメージの中を走り続けた列車がどんなものかわからないが、この『暴走機関車』は、疾走する黒い情念のような映画だった。疾走する先に待ち構えているのは破滅だ。
 あるいは記憶違いかもしれないが、J・エルロイの『LAコンフィデンシャル』はこんな一文ではじまるのではなかったろうか。
「何もかも失って、何の意味もない栄光」
 J・エルロイの作品は、暗い情念を感じさせる。ものに憑かれたという言葉があるが、破滅に向って人を駆り立てる衝動のようなものに突き動かされる主人公が、魅力的に描かれている。もちろんそれは負の魅力だ。決してそんな生き方はしたくないと思いつつ、自分ではないそれが他人の生き方なら――そう思いつつ眺めている分には魅力的だということだ。
 が、それを魅力的と感じる背景には、自分の中にそういう衝動があるからだろう。誰の心にも、自己破壊衝動はある。人はそれが愚かだと知りつつ行うことがある。愚かであるがゆえに魅力的で、目をそらすことが出来ないものがたしかにあるような気がする。
 暴走機関車は破滅に向う人の意志そのもののような存在だった。
 この映画を「痛い映画」だと言った人がいる。掌を貫くナイフ、列車の連結器に潰される手、しかもそれらは厳冬の骨も凍らせるような寒さの中で描かれる。寒さは痛みを鋭く、きつくする。見ているこちらの手にも痛みが走るような場面が連続するのだ。
 映画のラスト、列車の屋根に仁王立ちになり、吹雪の中に消えていくの場面は、まさにこの映画の痛みの集大成のようだった。
 肉体の痛みであると同時に、心の痛みだ。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/04/24 Tue. 00:30    TB: 0    CM: 0

ビリー・ザ・キッド 

 矢作俊彦はエッセイの中でビリー・ザ・キッドを「チンピラの王」と呼んだ。上手いと思う。とてものことに、そんな呼び方は思い浮かべることができない。
 そのビリー・ザ・キッドことウィリアム・H・ボニーは映画や小説のネタになりやすい存在だ。ぼくの知っているビリーを扱った映画だけでも『左きききの拳銃』『ビリー・ザ・キッド二十一歳の生涯』『ヤング・ガンズ』と、これだけある。小説なら片岡義男氏の『友よまた逢おう』というのがあった。
 これも有名な話だが、ビリーはニューヨークの生まれだ(本当かな?)。そういう記録が残っているのだろうか。とにかくそういうことになっている。伝説によれば、十二歳の時に母親を侮辱した男を殺害してアウトローになったといわれるが、『ウィキペディア(Wikipedia)』などによれば、家を出たのは母親がなくなった十五歳。最初の殺人は十七歳ということになっている。その生涯で、メキシコ人やネイティブ・アメリカンをのぞき、二十一人を殺害したというが、これも実数は九名(これだけでも相当な数だが)だったらしい。
 現実と伝説。伝説は華々しく、史実といわれるものは、不恰好なものだ。史上有名な『OK牧場の決闘』も、実はアープ兄弟の一方的な虐殺に近かったという話まである。
 真実がなんであれ、若くして無法者らしく生涯を終えたビリー・ザ・キッドは、作家の創作意欲を刺激する存在であることは事実だ。
 ビリーの墓石には「彼は彼らしく死んだ」と記されているらしい。この墓碑銘自体が、かなり文学的だ。
 我らが矢作俊彦氏もいつかこのチンピラの王を主人公に小説を書きたいとエッセイの中で語っている。そのときは、岸恵子さんのような美人の母親を登場させるとも書いている。矢作氏はビリーの母親の写真を見ている。美人ではないらしい。

 伝説と真実。ケビン・コスナー主演の映画に『ワイアット・アープ』があった。この映画のキャッチコピーは「銃声が胸を撃つ」だったろうか。とにかくその映画のラスト近く、ある若者が老いたアープに近づいてきて、彼の伝説を熱く語る場面があった。若者が去った後、アープは妻に、
「あの話は違うという者もいる」
 と、呟くように語る場面があった。
 すると妻は、
「いいじゃないの、そういうことにしておきましょう」
 と、答える。
 あの場面がとても好きだ。

 そうだ、もうひとつビリーが登場する物語を知っている。
『海から来たサムライ』という作品の中で、ワンウェイ・モーガンという伝説のガンマン(もちろんフィクションですよ)が登場する。彼はビリーに拳銃の扱い方を教えたということになっている。

カテゴリ: 日記

テーマ: ひとりごと - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/22 Sun. 11:19    TB: 0    CM: 0

歴史とif 

 歴史にイフ(もしも……)を持ち出すことはルール違反だが、それでも《もしも》を考えることはひどく楽しい。ましてぼくはその辺のおっさんだから、もし歴史上のあの人が生きていればと考えることは、ある一線を越えない限り、誰にも迷惑をかけることではない。
 歴史は変えられない。変えることができないからいいのだと思っている。いや、変えることができないから諦めているのかな……まあそれはそれでいいとしよう。ぼくが僕であることが変えられないように、過去は変えられない。

 土方歳三が函館で戦死しなかったとしたら――と、考えることはあらたな歴史の可能性を考えさせる。函館で生き残った土方歳三と同じく生き残った坂本龍馬がアメリカに渡り、旅をするというストーリーを聞いたことがある。タイトルは『馬上の二人』だったろうか。これは小説だ。木枯し紋次郎、中村敦夫氏が『チェンマイの首』執筆後のインタビューか何かでそんなは小説の企画を話していた記憶がある。あるいはこれも記憶のトリックだろうか。他にも老いた土方歳三が登場する小説というかエッセイのようなものを読んだ記憶がある。あるいはその文章を記した書籍は我が家の本棚のどこかに眠っているかもしれない。書かれたのは関川夏生氏だったのだろうか。間違いかもしれない。
 仮に坂本龍馬が生き残り、土方歳三が生き延びたとしても、それで歴史が変わったとは思わない。それでも、それを想像することは、ひどく楽しいことだ。
 たとえば源義経が生き残り、ジンギスカンになるというのは、楽しいというよりもある種の願望のような気がしないでもない。若くして兄に殺された軍事の天才をどこかで生かしたいという願望だ。司馬遼太郎氏によれば、源義経は軍事的な天才ではあったかもしれないが、政治音痴で、自分で開墾した土地を自分のものにしたいと願う人々の代表として登場した兄の気持ちも立場もわからない、困った弟だったということになる。正当な評価を下すのなら、日本人は源頼朝にもっと感謝するべきだということだった。

 歴史には無限の可能性があったかもしれない。歴史を改変できるなら、あるいは人類はよりよい歴史を手に入れられたかもしれない。もっと幸せになれたかもしれない。
 小松左京氏の『地には平和を』という小説は、言ってみれば歴史におけるマイナスのイフだ。もし第二次世界大戦で日本が無条件降伏をしなかったらという物語である。日本が無条件降伏をしなかった理由はある未来人が歴史を変えようとして行った結果なのだ。一国が戦争によって完全に地上から消滅したとすれば、人類はそこから戦争の愚かしさを学ぶかもしれない。しかし、人類が人類であるためには取替えのきかないこの歴史こそが重要なのだと、さらに未来からやってきた人類が語る。人が人を食料にする、こんな合理的なことも人類は捨てた。そんな言葉もこの物語の中には登場したと思う。
 成功も失敗も必要だということか。成功と失敗を認めたうえで、よりよい未来を得るために、歴史におけるifは意味を持つのかもしれない。
『小さな巨人』という映画の中でチーフ・ダン・ジョージが「勝ったことに感謝し、負けたことに感謝します」と天に祈る場面がある。

カテゴリ: 日記

テーマ: ひとりごとのようなもの - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/21 Sat. 17:04    TB: 0    CM: 0

マイケル・チミノと天国の門 

『天国の門』という映画を知っている人がどれだけいるかわからないが、この作品は大好きだ。
 マイケル・チミノ監督。アメリカ開拓史の裏側――とでも言えばいいのだろうか、とにかくある種の真実をマイケル・チミノは剥きだしにして描いてみせたのかもしれない。飢えに苦しむ東欧の移民たちが牛肉泥棒にまで追い詰められ、それを殺そうとする牧場主たちと血みどろの戦いを繰り広げる話だ。
 淀川長治氏はこの映画について、
「建国二百年でわきかえっているアメリカに冷や水をぶっ掛けるような映画」
 と、そんな意味のことを言っていた記憶がある。涙ぐましい開拓物語なら受け入れられたのだろうが、餓えて牛肉泥棒にならざるをえなかった移民たちの姿を見せつけられ、この映画が持っている映画的な面白さもテーマの重要性も無視して、批判の渦を巻き起こした。これも淀川氏の言葉にあったと思う。ようするにアメリカ人の神経を逆なでするような映画だったのだ。
『ディア・ハンター』の名声もこれ一本で帳消しになった。
 淀川さんはマイケル・チミノについて、若いころグリーンベレーで訓練を受けた、
「やくざ映画のオリジナルみたいなものを持っている」
 と、一種不思議な表現で語っている。
 ぼくはマイケル・チミノがグリーンベレーで訓練を受けたことがあるのかどうか知らないが、淀川さんの言い回しは、マイケル・チミノという監督の奇妙なある部分を言い当てているように思えた。
『天国の門』で映画会社を倒産させて、八方塞でもてんでめげない男が、マイケル・チミノだというのである。『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』の主人公スタンリー・ホワイトは、チミノ自身だと淀川さんは言っている。
 しかし、それにしても『天国の門』は凄い映画だった。ローマ軍がカルタゴ軍(あのハンニンバルの)に対して用いた戦法を使い、農民たちがガンマンたちに挑む場面は圧巻だった。
 新聞紙を壁紙代わりに使った小屋に女性を招いたクリストファー・ウォーケンが、「荒野の潤い」だと恥ずかしそうにいう場面はいまも印象に残っている。

カテゴリ: 映画

テーマ: ★おすすめ映画★ - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/04/20 Fri. 21:42    TB: 0    CM: 0

許されざる者と許されざる者…… 

『許されざる者』というタイトルの映画は二つある。
 いや、厳密に言えばもっとあるが、今回は二つということで話を進める(笑)。そういうことにしておかないと都合が悪い。
 有名というなら1992年のクリント・イーストウッド監督主演の『許されざる者』だろうが、今回は1960年の『許されざる者』である。
 こちら――つまり1960年の『許されざる者』にはぼくの好きな二人のスターが出ていた。オードリー・ヘップバーンとバート・ランカスターだ。オードリーは白人の娘として育てられたネイティブ・アメリカンの娘の役で、バート・ランカスターは血の繋がらない兄の役だった。娘の出自が明らかになるとき、それまでよき隣人であったり友人だったりした人々は離れていく。そして、娘を取り戻すためにやってきたネイティブ・アメリカンたちが一家を襲う。荒野の真ん中に建つまるで砦のような一軒家で、家族とネイティブ・アメリカンたちが戦う。そんな物語だった。
 映画はネイティブ・アメリカンの描き方が差別的であるという批判もあり、監督のジョン・ヒューストンも自分が監督した映画の最悪の一本と言っているらしい。評判は芳しくないが、ぼくはそんなに嫌いではない。もちろん、批判はかなり的を得ていると思いつつ、なお好きだということだ。
 理由のひとつに、バート・ランカスターが出ていることがあげられる。オードリーはもちろん好きだが、この映画に関していえばそんなによかったとは思えない。無理をしている印象の方が強かった。
 翻ってバート・ランカスターはいいです。ピアノを背中に乗せて、「えい!」と持ち上げる場面など、まさに荒野の中で一家を守る頼りになる兄貴そのものだ。
 本当に素敵な俳優なのだ。『ベラクルス』の黒ずくめのガンマンがかっこよかった。『追跡者』の無敵の保安官もよかった。『山猫』の老貴族は貫禄があった。
 晩年、『蜘蛛女のキス』をやりたがったという話を聞いたが、あれはほんとだろうか。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/04/19 Thu. 21:39    TB: 0    CM: 0

タイプライターの妖精 

 S・キングの短編にタイプライターに妖精がすんでいるという話があった。ある作家が自分のタイプライターには妖精がすんでいて、その力で創作活動ができると信じている。そのことを編集者に手紙で伝え、最初は調子をあわせていた編集者も、徐々に作家の狂気に感染して行く。
 物語のラスト、作家の自宅を訪れた編集者は、タイプライターのキーを叩く小さな手を目撃する。
 そんな話だったと思う。
 妖精は砂糖が好きだということで、タイプライターに砂糖をふりかけ、砂糖まみれにしてしまうという凄い場面もあったはずだ。
 キングの想像力はたしかに凄いと思う。彼の作品はホラーといわれるが、レイ・ブラッドベリの世界に近似値を持っているように思うのだが。

 昔こんな話を聞いたことがある。
 あのウルトラマンをアメリカで映画化する話が持ち上がったとき、あるアメリカ人シナリオライターが、
「ウルトラマンのあの赤い部分は、皮膚なのか、それとも服なのか」
 と、日本側スタッフ(実相寺昭雄監督だったと思う)に訊ねたという。
 そのシナリオライター氏によれば、アメリカのシナリオではどんなものにでも理由が必要なのだという。どんな馬鹿馬鹿しい理由でも、とにかく、根拠のないものはだめだという。スーパーマンが飛べるのはマントがあるからだとか(最近はそうでもないらしいが)、つまりそういうことである。理由がないと、それは結局、得体の知れないものになってしまうというのだ。
 それを思うと、キングの作品はたしかにどんな話にもちゃんと理由があったような気がする。どんなに馬鹿馬鹿しい理由であっても、たしかに理由があった。そのあたりが、たんなる妄想と小説の違いなのだろう。

カテゴリ: 日記

テーマ: つぶやき - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/18 Wed. 21:50    TB: 0    CM: 0

貞子の系譜・怪談 

 ホラーというよりも怪談が好きだ。
 ハリウッドを席巻したJホラー『リング』は怪談の特徴を色濃く持っている。ビデオ(これもすでに過去のものになりつつあるが)という現代文明の利器を小道具として使っているが、どうしてどうして、怪談に不可欠なアイテム《水》を随所で上手く使っているところなどまさに怪談の骨法に則った作品だ(笑)。
 第一、井戸から現れる女の幽霊といえば『番町皿屋敷』ではないか。
 明治の日本にはS・キングに匹敵するホラー作家がいた。初代三遊亭圓朝である。落語家だ。この人は多くの名作怪談を創作した。有名なところでは『怪談牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』。他にも名作はいっぱいある。
『怪談牡丹燈籠』は読んだことがある。落語をそのまま活字におこした本だ。これは凄い。これを読んでいると、ぼくたちが知っている『怪談牡丹燈籠』は三分の一くらいだということがよくわかる。お勧めします。
 三遊亭圓朝は日本文学にも大きな影響を与えた。書き言葉としての日本語を模索していた明治の作家たちが手本とした中に、三遊亭圓朝の落語の速記本があったという。

カテゴリ: 日記

テーマ: 日々のつれづれ - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/17 Tue. 22:24    TB: 0    CM: 2

戦争とトビー 

 剥きだしの肋骨は戦争を憎みつづけるだろう……
 吉田卓郎はそう歌った。『アジアの片隅で』だったろうか。作詞は岡本おさみさんだったっはずだ。
 いまも読んでみたいマンガがある。
『トビー』
 というタイトルだったと思うが、誰が描いたのかはっきりとした覚えがない。女性の漫画家の未発表作品集か何かあったと思う。ストーリーもどうもいまひとつ曖昧なのだが、ぼくの記憶にあるストーリーはこんな感じだ。
 トビーという少年の父親が戦死する。大人たちはそのことをトビーに隠そうとする。しかし、見かねた一人の大人がトビーに父の死を告げる。しかし、トビーはすでに父の戦死を知っていた。トビーは言う。父親は戦死した。自分は誰を憎んでいいのかわからなかった。だから、自分にその事実を最初に告げる誰かを永久に憎み続けることに決めていたと。
 そんな話だったと思う。
 父を殺したのはもちろん、トビーに父の戦死を教えた大人ではない。それでも彼はもしかすると、憎まれても仕方がないのかもしれない。戦争を起こしたのは彼ではないかもしれないが、戦争を許容したということで、遠く、あるいは近く、トビーの父親の戦死の片棒を担いだ可能性があるからだ。この場合の許容というのは積極的に反対しなかったという意味だ。
 その意味で言えば、大人は皆トビーの憎しみの対象になれる資格がある。
 いまは大人を憎むトビーも、やがては憎まれる大人になるだろう。
 しかし、そう考えることは、この漫画のテーマから外れることになるかもしれない。

カテゴリ: 未分類

テーマ: つぶやき・・・ - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/15 Sun. 21:43    TB: 0    CM: 0

忍者とニンジャ 

 ――と、言えば、もちろん『カムイ』である。
 それはさておき、忍者ものでは『子連れ狼』でおなじみの小島剛夕氏の作品『土忍記』が好きだった。カムイもそうだが、『土忍記』に登場する三人の忍者も皆抜け忍である。伊吹剣流だったと思うが、特殊な忍者剣法を使う。ちなみにその秘剣は「影流れ」「裏風車」「飛刀草薙」「病葉(わくらば)」といったところで、カムイの「変移抜刀霞切り」のようなものだと思えばいい。土忍というネーミングは、抜け忍として追われる彼らが、農民の中に身を潜め、農民として生きようとするからだと思う。忍者だが、皆農民の出身なのだ。土に生きようとする忍者――土忍、なんだかいいなあ。
『カムイ』も好きだが、『土忍記』もすきな作品だった。
 よく上忍とか下忍とか言う言葉が忍者ものには登場するが、これは司馬遼太郎氏の創作によるものらしい。司馬遼太郎氏の忍者小説は、かなり面白い。
 その司馬遼太郎氏がこんなことを書いていた。我々が抱く忍者のイメージは、徳川家に召抱えられた伊賀同心たちが、自分たちの祖先のことを、誇張をまじえて書いたものが元になっていると。つまり、現実の存在ではなく、それ自体が創作の産物ということだろうか。もちろん、戦争に情報収集は欠かせないものだだから、そういった役割、現代でいうスパイ的な役割をした者達はもちろんいたことだろうが、たぶん彼らは、ぼくたちが抱いている忍者のイメージとはずいぶん違うはずだ。いや、違って当たり前か(笑)。これももはや有名すぎる話で、いまさらの感もあるが、あの聖徳太子も忍者を使っている。
 インターネットでひろった情報だが、歴史上自ら「忍者」と名乗った人物はいないそうである。言われてみれば、すとんと腑に落ちる。
 伊賀忍者、というか公儀隠密の代表のように言われる服部半蔵正成は、伊賀の出身ではない。服部家は伊賀の有力な土豪だが、父の代に三河に移住している。だから服部半蔵は三河の生まれである。
 で、その服部半蔵は「槍の半蔵」とか「鬼の半蔵」とか呼ばれて、どうも忍者というイメージではない。
 石川五右衛門も忍者だった。といっても実際のところどうであったのか、ぼくは知らない。その石川五右衛門の師匠は、百地三太夫だったということになっている。百地三太夫は伊賀流忍術の創始者とされる人物だ。
 百地三太夫の子孫の方は、現在も名張市鴻之台、竜口というところに住んでおられる。

 写真は上野の御城だ。

上野の御城

カテゴリ: 日記

テーマ: レトロを巡る旅 - ジャンル: 旅行

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Posted on 2007/04/13 Fri. 20:44    TB: 0    CM: 0

黒澤明のリアリティ 

 黒澤映画『用心棒』の一番最初の殺陣は、その刀抜き方が変わっている。三船敏郎は逆手で刀を抜く。そして、一瞬で刀を普通の持ち方に持ち替え、右側の相手を切る。体を反転させて、背後の相手を切り、さらに体を反転させて、逃げようとする相手の右腕を切り飛ばすのである。
 さらに、ある女性を救い出す場面では、相手を即死させるために、全て二度切る。一太刀で人は死なない。黒澤明はそう言ったそうだ。相手を斬って、返す刀で咽喉を切るのである。電撃的な攻撃だった。
『用心棒』における三船の殺陣は凄まじく早かったことを黒澤明は後に述べている。早すぎて、フィルムのコマひとつひとつには光が流れているだけのように見えた。映してみてはじめて刀の動きがわかったという。黒澤明自身が話していた。
 共演した司葉子は当時を振り返り、撮影中の三船は怖かったと語っている。本当に人を斬る気迫で向かって行った。カットの声がかかると肩で息をしていた。殺陣の最中、三船は呼吸を止めていたのだ。

『椿三十郎』の有名なラストの殺陣。三船は左手、逆手で刀を抜く。抜くと同時に右手の拳を刀のみねに当てて、そのまま相手の胸を抉る。この殺陣は、殺陣師が基本を考え、三船が完成させたという。この三船の殺陣が成立するには前提がある。敵が上段に振りかぶることを得意とすることである。だから、三船は相手に体を寄せるのだ。しかし、あの映画の中で、三船演じる椿三十郎が、いつどこでそれを知ったのかは描かれていない。
 この時、三十郎が使った殺陣は実在する居合だ。弧刀影裡流(ことえりりゅう)という流派で、幕末のころにうまれたらしい。もっとも三船の使った手は弧刀影裡流そのものではない。左手で刀を抜くやり方はあっても逆手ではないからだ。

 黒澤時代劇にあるリアリティは細部を徹底して、本物らしく作ることだろう。その上で大嘘をつく。『用心棒』『椿三十郎』でついた大嘘は、あんなに大勢を斬ることはできないということだ。

カテゴリ: 映画

テーマ: 日本映画 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/04/11 Wed. 22:56    TB: 0    CM: 2

ワイルドバンチの歌声 

 断っておくがサム・ペキンパーは嫌いである(笑)。あの暴力賛美のようなところがどうしても最後の一線、根っこのところで好きになれない。ペキンパー信者の方ごめんなさい。
 でも、今日は『ワイルド・バンチ』――ペキンパーは嫌いと言いつつ、この映画は五回くらい見ている。ディレクターズカット版のDVDも持っていて時々見る。一貫性のなさもぼくのいいところだ(^_^;)。
 あの映画のラスト近く、とらわれエンジェルを救い出すべく、勝ち目のない戦いに向う男たちの姿に、奇妙な歌が重なる。それはメキシコの農民が歌う歌で、兄に恋心を打ち明けられた妹の戸惑いを歌った歌だった。近親相姦を歌った歌なのだ。次に続く、あの頭の中が真っ白になるような銃撃戦の前の、それは奇妙な休止符のような場面だった。ペキンパーは好きではないが、たしかに非凡な監督だったのかもしれない。
 しかし、声を大にして言うが、ぼく的には師匠のドン・シーゲルの方が好きである。
 ペキンパーといえば、スローモーション撮影が代名詞のような感があるが、効果的に使ったのは、我らが黒澤明だ。すでに御存知の方もいると思う。デビュー作『姿三四郎』の中で、障子が落ちる場面をスローモーションで撮影した。そして、『七人の侍』。あの映画の中でも、スローモーション撮影は効果的に使われていた。サム・ペキンパーが黒澤明の大ファンだったのは有名な話である。
『七人の侍』のなかでリーダーの志村喬が人質にされている赤ん坊を助ける場面がある。御存知でない方は、さ、早くレンタルビデオ屋に走り、あの人類の遺産ともいうべき傑作をご覧になってください(笑)。とにかく、あの場面は、たしか塚原卜伝の逸話にあったような気がする。さらに言えば、あれは講談ネタである。黒澤明はそれを見事に映画的表現に置き換えて見せた。やはり黒澤は天才だった。
 話をペキンパーに戻すと、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる 』を映画化したかったという話をどこかで聞いたことがある。
 もし、ペキンパーがあの作品を映画化していれば、ぼくは絶対に見たと思う。
 ぼくにとってのペキンパー映画ベストワンは、やはり『わらの犬』だ。

カテゴリ: 映画

テーマ: 映画 - ジャンル: 映画

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Posted on 2007/04/09 Mon. 22:06    TB: 0    CM: 0

ぼくとギター・声の魅力 

 さて、フラメンコギターが欲しかったのだが、それはともかく今日は声の話し。

 声に勝る楽器がないといわれるが、本当だと思う。歌ということに関していえば、悪声だろうが、音を外そうが、その気があれば、全てを個性に変えてしまう力が声にはある――と、思うがどうだろう。
 どれが好きなタイプとは言えないが、たとえば対象を日本の歌手に限定して言うと、朱理エイコの声が好きだった。長谷川きよしの声も好きだ。美空ひばり、ちあきなおみ、上条恒彦、岩崎宏美、ジュリー、スガシカオ、山崎まさよし、宇多田ヒカルのお母さん、藤佳子さんの声も好きだ。
 そう言えば、奄美島歌の朝崎郁恵さんの声は凄いと思う。同じ奄美の元ちとせさんもいいが、やっぱり大先輩のほうがちょっと凄いかも(笑)。
 もっとも声は好みだから、何とも言いようがない。大塚まさじという人の声も好きだった。
 歌手に限定しなければ、原田芳雄さんの声が好きだ。フーテンの寅、渥美清さんの声も好きだ。田島令子という人の声も好きだった。バイオニック・ジェミーの声をやっていた女性だ。あるいは、クイーン・エメラルダスの声だ。素敵な声である。

 以前、アラン・ドロンの声で有名な野沢那智さんが深夜放送で言っていたが、外国映画の声優を選ぶ際のポイントは、顎の形だそうだ。声を当てる方と当てられる方、同じ顎の形をしていれば、たとえ声の質が違っても違和感がないそうである。
 しかし、つくづく声というのは凄い表現手段だ。それだけに嘘をつけない怖さもああるように思う。テクニックも気持ちから入っていかなければ、嘘は簡単にばれてしまう。というか、気持ちがないところからは何も生まれない。何かを表現したい、表現しなければならないという強い気持ちが、テクニックを生み出すものかもしれない。
 上手いからいいというものでもないし、下手だからだめということもないのだろう。


カテゴリ: 音楽

テーマ: 音楽 - ジャンル: 音楽

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Posted on 2007/04/08 Sun. 19:31    TB: 0    CM: 2

ぼくとギター・ブルース、嗚呼ブルース…… 

 久しぶりに、どうしてもフラメンコギターが欲しかった――ってしつこいねえ、どうも(笑)。

 フラメンコギターとは何の関係もないが、以前憂歌団の内田勘太郎氏を間近で見たことがある。もう二十年近く前のことだ。名古屋の小さなライブハウスだった。憂歌団ではなく『有勘』でやって来たのだ。有山淳司と内田勘太郎のコンビだ。両者ともギターの名手だが、間近で内田勘太郎のギターを聴けたことは、いまでも得難い体験だったと思っている。あのころはまだそれほど人も入っていなかった。憂歌団の名前は有名だったし、内田勘太郎のギターも話題だったはずなのに、なぜか客がそれほど多くなかった印象がある。まあ店自体も小さかったし、時代ということもあったのだろう。
 とにかく、間近で見た内田勘太郎のギターは凄かった。あのぼろぼろのチャキで、
「よくもまあこんな音がでるものじゃわい」
 と、白髭の老人風に感心していた。
 その内田勘太郎氏が、
「コピーは苦手だ」
 とこたえているインタビュー記事をどこかで読んだことがある。
 言われてみればそんな感じかもしれないと思う。ブルースといわれるがものすごく独自のギターで、あれだけ個性が強いということは、誰かのコピーというよりも、自分で切り拓いたテクニックなのだろう。もちろん無数のブルースに関するレコード(当時のことですから)は聞いたとは思うが。

 前にタモリと誰かの対談だったと思うが、憂歌団は意外にブルースではないと話し合っている記事を読んだ。まあ、これも曖昧な記憶で、あるいはぼくの勘違いかもしれないが、まあそういう対談があったということを前提に話をすると、ようするに音の使い方とかで、ブルースももちろん含まれているが、流し風の音の使い方があったりと、必ずしもがちがちのブルースではないということだった。しかし、聞いていると、やはりこれ以上はないブルースだというのである。そんな感じの話だったと思う。憂歌団とブルースというかかわりで言うならば、形も真似るが、それよりもよりブルースというジャンルの本質を自分たちのものにしていた、そんな感じなのだろうか。

 ブルースといえば、ロバート・ジョンソンだがレコードを持っている。このレコードを買った当時、ロバート・ジョンソンの顔写真はないといわれていた。だからジャケットには、あのギターを抱えた有名な写真はない。ギターを抱えている、長い指が印象的な写真だ。彼の音楽について言えば、正直聞いていてぼくには辛い。というかブルースに対して、強い思い入れがないからかもしれない――決して嫌いではない――が、なんというか歴史的な遺産を聞いているという意識の方が強く前に出てきて、楽しむという感じではなくなってくる。
 ブルースの関係なら、ライトニン・ホプキンスが断然好きである。理屈抜きにいい。ライトニン・ホプキンスも、何枚かレコードを持っている。もうプレイヤーもなくなってしまい、たちどころに聞けないのが残念だ。

カテゴリ: 音楽

テーマ: アコギ - ジャンル: 音楽

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Posted on 2007/04/07 Sat. 05:55    TB: 0    CM: 1

木枯し紋次郎の強さ 

 笹沢佐保氏は木枯し紋次郎の強さを微妙な位置に設定している。圧倒的に強いということはないのだ。渡世人の中では無敵だ。普通の侍よりも強い。だが、剣客よりは弱い。そんな位置付けだと思う。
 では現実はどうだったのか。剣術と人切りは違うという話がある。
 日本人が刀を使って切りあっていたのは百年とちょっと前までだ。江戸期中期はほとんど斬りあいなどなかったらしいが、幕末になるとあちこちで斬りあいがあった。明治の手前だ。
 だから明治になり、そういった人たち――つまり実際に刀を持って斬り合った人たちの体験を記録した、聞き書きみたいなものはけっこう残っているらしい。
 その中の一人に、西南戦争に参加して、その後、巡査になった人の体験談があった。道場で習った剣術は、実戦ではほとんど役に立たなかったらしい。普通にやっていたのでは刀が相手に届かない。鍔元で相手の脳天をかちわる気で打ち込んで、やっと切っ先が届くものらしい。また高い場所にいる相手は近く見え、低い場所にいる相手は遠くに見えるものだという。千葉周作という人は、実戦では相手の指を切れと言ったという。
 こういう話を総合して考えると、実際に木枯し紋次郎がいれば、おそくら最強だったろう。何せ実戦で鍛え抜いている。

カテゴリ: 日記

テーマ: ひとりごと - ジャンル: 日記

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Posted on 2007/04/05 Thu. 21:06    TB: 0    CM: 0

マハラジャ(大王)よりえらい料理人――体に優しいインド 

 伊藤武という人の書いた『体にやさしいインド』という本がある。この本が好きで、何度も読み返している。ちなみにぼくは同じ本を何度も読み返す癖がある。一度ではどうも頭に入らないので、気が向くと同じ本を何度も読み返していることになる。ただし、それは面白い本に限る。面白くない本は、一度読んだだけで本棚の奥の方で眠っている。
 タイトルからわかるようにこれはインドに関係した本なのだが、中にタイの米でできたウイスキーの話が出てくる。《メコン》という名前の、いかにも――というかまったくタイのウイスキーだが、このウイスキーは米でできている。ようするに米焼酎をウイスキーのように琥珀色いにしたものらしい。味についても書かれているが、酒を飲まないぼくには、こればかりは想像のしようもない。
 インドから離れるが、ムエタイ(タイ式ボクシング)についても少し触れられていて、「シャム蛸の科学」と呼ばれているそうである。このことははじめて知った。両手両足、肘、膝、全身を使って闘うからだ。『マッハ』という映画を見た方もいるかと思うが、あの映画で描かれていたムエタイファイターは、映画上の演出はあるだろうが、打撃系格闘技あるいは立ち技系格闘技地上最強という噂に違わぬ迫力があった。

 自分とインドのかかわりで言えば、昔行ったことがある。別にインドの神秘を求めて行ったわけではなく、何のことはない、カレーを食べに行ったのである。そのくらいカレーが好きだった。いまも好きだし、きっとこの先も好きだ。絶対にすきだ~~~!。
 とにかく本場のカレーというものはどんなものか、当時はまだインド料理のレストランはそれほど多くはなかった。それに、インド人がインド料理を作っていても、そこはそれ日本人向けに味付けを変えてあるだろうと思ったのである。本当のインドの人たちが食べるインド料理とはどんな味なのか。これをどうしても知りたかった。
 インドにはカレーという料理はないという。最近では誰でも知っていることだ。それはスパイスを使用した料理の体系であり、日本料理の味噌醤油のようなもので、言ってしまえば、何を食べてもカレー味だということだ。
 で、実際に彼の地の料理を食べてみて、なるほどそうかもしれないと思った。たとえばどれがカレーというように限定はできなかった。どの料理もそれぞれに味があり、何が日本のカレーに近いのか、どれも近いようであり、どれも遠いようで、わずかな滞在ではとても理解できなかった。たぶん何年いても理解できないのだろうと言う気もする。日本の料理でも、味噌醤油を使っても味が全て違うのと同じことだ。違うが、共通する点もある。まあ、そんな感じだった。
 ただ『体にやさしいインド』によれば、カレーというは本来はスープ料理のことらしい。煮込み料理だ。
 ぼく自身のことでいえば、実は胃袋に関して密かな自信を持っていた。地の果てで、アザラシの胃袋に入れて醗酵させた鳥の肉でも食ってみせるという、根拠のない自信を持っていたのだが……だめでした、ごめんなさいm(__)m。実はインドに入って三日目で白旗を掲げました。味の問題ではない。油だ。とにかくどの料理にも大量の油が使用されていて、とてもついていけなかった。油というのは、しかし、まったくの盲点だった。味はなんとななるにしても、ふだんあれほど大量の油を食べたことない身としては、あれほどこたえるとは思わなかった。レストランなどで、油っぽい料理を大量に食べている外国人客を見るにつけ、凄いなあと感心して、同居人と二人、フルーツを食べていた。お茶漬けやうどん、そば、嗚呼! 卵かけご飯――そういったものが、あれほど恋しかったことは、人生の中でかつてなかったことだ。

 インドのマハラジャという存在の説明を始めるとながくなるし、ぼくには完全に説明しきる自信がないので、ここはひとつ乱暴にインドの大金持ちと考えてしまおう。もちろんこれは空前絶後、恥も外聞もない乱暴な考え方だが、大金持ちという点ではまあそれほど間違ってはいないだろう。
 インドでは料理人のこともマハラジャ(大王)と呼ぶらしい。料理人は殺傷与奪権を握っているからだ。王侯貴族もぼくのような下々も何かを食べていなければ生きていけない。
 しかし、マハラジャ(大王)と呼ばれる料理人よりも格上の料理人がインドには存在する。
 家庭の主婦である。
 それは作る人と食べる人の関係によるらしい。レストランの料理は言ってみれば万人向けの料理だ。誰が食べてもそれなりに美味しいと感じさせることができなければ、商売にならない。
 だが、家庭の主婦はこの関係――作る人と食べる人――の関係がはっきりとしている。わけのわからない誰かのために作る料理よりも、決まった誰かのために作る料理の方が格が上なのだ。家庭料理は食べる人に関する情報が多い。それも圧倒的に。年齢、好み、体調、その日の気分等々。たしかに主婦は世界最高の料理人かもしれない。
 だからぼくたちはいつも世界最高の料理人の料理を食べていることになる。





カテゴリ: 読書

テーマ: 紹介したい本 - ジャンル: 本・雑誌

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Posted on 2007/04/01 Sun. 09:59    TB: 0    CM: 0

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