Gitanの趣味

ひたすら趣味の道を走っています(ニヤリ)

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主義なら上々颱風主義 

 ぼくは上々颱風というバンドが昔から好きだ。
「愛はメロディ、リズムは命」
 と彼らは歌っているが、楽曲の躍動感は、その歌詞の通りだと思う。
 これは音楽の素人の言葉だと思って聞いていただきたいが、リズム感の有無というのは恐ろしいものだと思うことがある。スローテンポの曲を演奏するときでも、そこにきっちりとしたリズムがあるのかないのか、リズム感を持っているかどうか、違いがはっきりと出る。美空ひばりという人は稀代のリズム感の持ち主だったという。スローな曲を歌っても、決して間延びした印象を与えなかった。

 ぼくが上々颱風がすきな理由はいくつかあるが、そのひとつに、彼らが懐かしい匂いを持っているということがあげられる。昔懐かしいフォークソングの匂いだ。岡林信康、高田渡、ジャックス、高石友也、中川五郎、遠藤賢司、三上寛……その他数多のフォークシンガーたち。ニューミュージックが登場する以前の、音楽を演奏することが目的なのか、それとも社会に対して自己の主張を展開することが目的なのか、よくわからなかった時代の匂いだ。
 ぼくはまったく矛盾している。かつてフォークシンガーのコンサートでは、演奏そっちのけでディスカッションがはじまり、それが延々と続くということがあったという。ぼくはそんな場面に遭遇したいとは思わない。が、その一方で、コンサートでそういうことが当たり前――ではないにしても、わりと頻繁におきていたらしい時代に、一種の憧れのようなものを感じる。
 もう一度いうが、これは矛盾しているし、ずいぶん都合のいい話でもある。ごめんなさいm(__)m。
 とにかく、ぼくの身勝手な気分の問題は、まあ個人的なことなので許してもらうとして(^_^;)、ぼくにとっての上々颱風は、そういった懐かしい時代の匂いを感じさせる存在であることは確かだ。
 それは、リーダーである紅龍の個性なのだろう。
 この記事のタイトルに使った『上々颱風主義(森口秀志著)』は1994年に出版された彼らに関する書籍のタイトルである。
 この本の中に、メンバーのインタビューが掲載されている。
 紅龍のインタビューを読んでいると、彼があの時代(ぼくの知らないあの時代)と歩調を合わせるようにして生きてきたらしいことがわかる。
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カテゴリ: 上々颱風

テーマ: 日記 - ジャンル: 音楽

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Posted on 2007/06/13 Wed. 21:37    TB: 0    CM: 0

上々颱風とフジヤマ芸者的日本 

 はじめて上々颱風をみたのはテレビだった。1993年NHKBSで放送された『上々颱風祭り』丸々二時間。それではまりました。その前にWOWOWで1992年の『上々颱風祭り』が放送されたが、残念! これは見ていない。とにかくBS2で見て以来、病み付きになり、しばらく追っかけのようなことをしていた。あちこちのライブに出かけて行っては、踊り狂っていました。そういう過去もあったわけです(笑)。

 上々颱風そのものは、その前から知っていた。さすがに《紅龍とひまわりシスターズ》のころは知らないが、デビュー曲『流れのままに』がラーメンか何かのCMに使われたときに、
「あら、フォルクローレを演奏するバンドが出てきたのかいな」
 と、てんで勘違いな感想を持ったことがある(笑)。
 でも、名誉のために言いますが、あの曲――『流れのままに』はフォルクローレ的なニュアンスを持った曲ですよ。てか、日本民謡あるいは演歌とフォルクローレは、リズムは違うが使われる音階が同じであるため、メロディーが似てくるものなのだ……と、言わずもがなの言い訳はこのくらいにして、とにかくあのCMが、上々颱風と最初の出会いだった。CMに出ていたのは、伊藤かずえさんだったように思うが、これはちょっと自信がない。
 その後、まあ色々と紆余曲折――と言うほうどのものではないが、とにかく色々あって1993年の『上々颱風祭り』へと向うわけだ。
 NHKBSでたっぷり二時間、上々颱風を見て感じたことは、
「まるで外国人の見た日本のようだ」
 というものだった。和ものといえばたしかに和ものだが、それは「フジヤマ・芸者」的日本のようだった。これは決して悪口ではない。彼らの演奏する音楽は、日本音楽のきわめて優秀なパロディのようなところがある。そもそもバンジョーに三味線の弦を張って、それっぽい音を出そうというのが、いかにもな感じである。こういう感覚をぼくは好む。有体に言えば、大好きである。
 上々颱風のリーダーである紅龍の企みは、もしかすると超高度な冗談音楽の創造にあるのではないかと勘ぐりたくなる時があるほどだ。
 そうでなければ、日本人(アジア人)として無理のない音やリズムで創られ、しかも大衆音楽として広く認知される音楽の創造、そういったものを目指しているのだろうか。
 紅龍は喜納昌吉が沖縄から登場した時、相当ショックを受けたらしい。そういうインタビュー記事を直接目にしたことはないが、ある雑誌でそういった内容の記事を目にしたことがある。真偽のほどはわからない。しかし、もしそうなら紅龍の目指したものがわかろうというものだ。喜納昌吉がどういう存在であるかは言うまでもない。喜納昌吉は自身の血肉にもなっていた沖縄音楽を西洋楽器を使って仕立て直したのだ。紅龍もそれをしようとしているのだろうか。
 目指すところが高度なパロディか、それとも大真面目なのか、よくわからない。両方欲しいのかな(笑)――そうであっても、少しもかまわない。というかその方がぼく好みではある。

 ちょっと余談になるが、その昔、タモリが『戦後日本歌謡史』というアルバムを出したことがある。全編、戦後を様々に彩った歌謡曲のパロディなのだが、これが絶品だった。こういうセンスが好きだ。たとえば戦後に流行った『りんごの唄』という唄がある。タモリはこれを『珊瑚の唄』というパロディにした。
「赤いりんごに唇よせて、黙ってみている青い空~」
 と、これが元唄。タモリはこれを、
「赤い珊瑚に顔面ぶつけ、黙って潮吹くマッコウクジラ~」
 と、やってのけた。しかも、微妙にメロディを変えている。著作権の問題だろう。もしこの唄を知っている人がいれば、一度歌ってみてください。楽しいですよ~(^_^;)。
 タモリはコメディアンがだが、紅龍は一応ミュージシャンだ。だから彼は、真面目と不真面目の大きな両極の間を行き来している。

 上々颱風の魅力はなんといってもツインボーカルによるところが大きい。白崎映美と西川郷子のボーカルとパフォーマンスが、上々颱風の形を決めているように思う。
 二人とも、凄いボーカリストだ。
 白崎映美の《動》と西川郷子の《静》といえば、ちょっと格好をつけすぎかと思うが、ぼくはそういうイメージでとらえている。
 いつかダイナミックなものが好きだと書いた。そして、ダイナミックというのはようするに《静》と《動》だ。だから上々颱風はダイナミックだ。かつて雑誌か何かで、上々颱風の音楽を極上のダンスミュージックだと書いている記事を読んだことがある。本当にその通りだと思う。
 ああ、久しぶりに上々颱風のライブに行きたくなってきた。いまでも熱く楽しくチャンチキミュージックを奏でているのだろうか。確かめたくなってきた。本当に。

カテゴリ: 上々颱風

テーマ: 邦楽 - ジャンル: 音楽

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Posted on 2007/02/24 Sat. 21:27    TB: 0    CM: 0

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